味は「染みる」がロケーションは?

*味は「染みる」がロケーションは?

コロンバさんの石焼ハンバーグで気分が良くなったのか、日を変えて懲りずに「とっとりずむ」が紹介する、お店に行って来ました。

ここは鳥取駅北口前にある、アーケード商店街に位置しているサンロードで6月に開店した、メキシカンタコスショップメヒコさんで、土日は豚汁専門店になる「シミル」さんに化けるのです♪

最近はこのような形態のお店が増えてきて、大阪市内でも限定間借りのカレー屋さんとかもあるみたいでちゅ。

鳥取市街中心部の商店街も、郊外のイオンモールにお客を取られて、苦戦しているのに、新しいお店が増えているのは、喜ばしい限りです(o^_^o)v!!!

それでは土日の11時30分~14時の間しか営業していない、幻の豚汁専門店シミルさんに、突撃ですよ~。

当初は店頭のオープンテラスに案内されましたが、暑かったので店員に「中は冷房が効いているのですか?、そこで飲食したいです」と言ったら、快く案内してくれました。

なおシミルさんは大学生が運営しているようで、私が11時30分の開店時間に来たら、「まだご飯が炊けていないので、10分ほど待って下さい」と言われ、時間には厳しい私は「小中学生じゃないだけぇ、もう少しその辺の時間計算は考えてごせぇや」と、ちょっと不満を持ちました。

なお私は豚汁定食(700円)を頼んで、中身は豚汁と漬物(この日はキムチ)、そしておにぎり2個でした。

店内の2階は暗くって、豚汁定食がなぜか赤っぽくなり、なんか不味げな映りになりました(汗)。

キムチのアップ写真です。

キムチは好きなんですけど、とっとりずむの情報では、普通のきゅうりの漬物とか、純和風のものが出てくるものだと思ってましたが、漬物系も日替わりなんかも?

おにぎりの中身は、梅干も鮭も何も入っていないです。

別に塩味が効いているわけでもないのに、なぜか美味しいと思いましたが、食材は鳥取県産を使っていることを考慮して、それで納得せんとイケンと思いました♪

まあ普通のお茶碗に、白ご飯を盛って出してくれてもいいのですが。

主菜の豚汁ですけど、残念ながら近すぎ過ぎて写真を撮ったので、何か分からない内容になってしまったのでちゅ。

でも具材はたっぷりであり、食べ応えは十分でした。

二階の客席、とは言ってもこの席しかないのですが・・・。

向かいの田中青果店さんの方が、シミルさんに来て「豚汁持って来て」と出前注文していて、地域に愛されるお店を、県外大学生が運営している、これは先日アップした用瀬町の大学生が運営する民泊にも言えますが、「よそ者が運営するのって、大いに有り」だというのは私の思いであり、純粋な鳥取県人である私には思いつかないことを行う、これは大いに評価できますよ~。

そう言えば「田中」という苗字は鳥取県で一番多く(西日本全体に言えるけど)って、逆に東日本は「佐藤」「鈴木」が多いですよね♪

2階席と1階を結ぶ階段、いくら何でも急すぎであり、鳥取市の昔の家よりも、かなり厳しい傾斜です。

以前は何の建物、お店だったのか、私ですら分からないのが惜しい!

本当なら豚汁定食を食べた後、宮崎県出身の店員がご当地グルメである、「冷や汁」を提供してくれると、とっとりずむの情報で知っていて、私も注文したのに、この日は宮崎県人がいなかった?のか、提供できないとのことでちゅ。

その代わり月曜日から金曜日は、ここはタコス専門店なので、コロナビールを飲みました。

コロナビールを飲んで、トヨタの車だったコロナ(純子ちゃんが幼少期時代の実家の家の車も、トヨタコロナ)の中古車にでも乗って、悪質感染症を撃退したいですよ~。

豚汁の味は文句なかった「シミル」さん、でも急傾斜の2階席まで登るのって、膝に爆弾を抱えている私にはしんどく、大学生が運営しているので、素人なのは理解できますけど、くどくて御免で、開店時間は絶対にきっちりせんとイケン、裏を返せばそれを克服したら、鳥取市の新グルメ名所(立地も文句なしだし!)になるはずだっちゃぁ~(^o^)ノ!!!

 

鳥取市の夏!古市地域の夏!

鳥取市の夏!古市地域の夏!

コロンバさんで美味しいトマトソース味の、土鍋ハンバーグ定食を食べた後は、袋川に架かる古市橋ふるいちばし)を渡って、私が育った古市地域へ向かいます(o^_^o)v!!!

目の前には三洋製紙さんの大工場があり、古市のみならず、鳥取市の経済を支えています♪

古市橋の上から撮影した、鳥取市の旧市街地、まさに地方都市そのものですけど、いい味を出しています。

古市地域もだいぶ変わってしまい、大きな道路も出来ています。

向こうの一本木が美しいでちゅ。

古市地域の地図はこんな感じで、昔のものなら我が家の名前(苗字)も載っていました。

三洋製紙さんの工場を、裏側から撮影しました。

意外と迫力があります。

大昔からある、村のお地蔵さまには、拝んどかんとイケン♪

天理教の古市町分教会もあります。

私が幼少の頃から、この教会からは子気味良い太鼓や拍子木の音が流れていて、なぜか気分が落ち着いたもので、さすがは共産党と仲が良い?宗教だけにことはあります。

そりゃぁ~八尾民商の会員には、天理教支持者も多く、私をマミヤンに対して働いた不適切発言で叱責した、S木F恵さんの実家も天理教で、S木さんの娘さんも天理大学に進学したのですから、共産主義は宗教を否定するのは、ちょっと違うかも知れないでちゅ。

夏のお花が美しいのに、その名前が分からず、恥ずかしい限りであり、ここにmiyotya様がいたらありがたいです♪

このお花が咲いているとこは、用水路が二股に分かれる分岐点だったので、通称「二つ股」と呼ばれていました。

でも今では古市地域の用水路も暗渠化されて、昔の風景とは全然変わっていますよ~。

ここ二つ股は、小学生の時に集団登校の集合地だったとこで、感慨深いとこであります。

写真に写っている離れの建物、これは昔から変わりません。

この家も昔からありますが、古い煙突がいい味を出しています♪

今でも薪とかを焼いて、お風呂を沸かしているのだろうか?と思いましたけど、昔使っていたものが、今ではダミーで残っているのかも知れません。

鳥取市の昔の家も、私が幼少の時は、それこそ薪とかを焼いて、お風呂を沸かしていたのに、途中から中国電力の電気温水器が導入されて、快適なお風呂生活を送ることができたのでちゅ。

私が過ごした鳥取市の昔の家の所在地である、「古市67番地」がここなんです。

本籍地もここに置いています♪

やっぱりこの景色を見たら、心が休まりパワーも補填されますよ~。

古市公民館前の豪農?の家で、今は分かりませんが、かつては古市区長もされていた方の邸宅です。

私が幼稚園に通っていた時は、ここに鳥取幼稚園(現・鳥取第一幼稚園)の送迎バスが来て、前述の二つ股と同じく、待ち合わせ場所になっていたわけです。

狭い道が多い古市地域です。

鳥取市の旧市街地から、さほど離れていないのに、これだけ田舎町の雰囲気が漂っているのは、ホントさすがですよ~。

土塀も崩れかけの古い離れ、これまた昔っからあるのです。

玄関は入り口の上に、梯子が掛けられているのって、なんかあるの?

暑い最中、稲穂もすくすく育っています。

私は幼少の時から思うのですが、田んぼの中に孤島のようにお墓がある、どんな理由があるのだろうか?

やっぱり農業用の用水路って、大切なものですよね♪

古市地域は野菜や果実作りが盛んな「農業地域」だったのに、今では田畑も潰されて、アパートやマンションが建ちまくっていまちゅ。

昔を知る私から見たら、部分的には未知の町になりかけです。

国道53号線から東に分かれる市道に入り、またさらに道が二方向に分かれていて、まっすぐ行けば三洋製紙の大工場へ、左に行けば古市地区の中心に行けます。

なんか、ドイツの超有名観光地で、年間100万人が来ると言われる、私も何回も行きまくった、ロマンチック街道の「ローテンブルク」の町中にある、プレーンラインみたいです♪

我が幼少年期を過ごした、古市地域は今でも過去の雰囲気を残していますが、新袋川の北対岸、つまり旧鳥取市側はやっぱり発展しています♪

今の私の鳥取市の家は、古市地域より全然東側で、小中学校の校区も違う、桂木地域(津ノ井)なんですが、やっぱり幼少年時代に住んでいたとこって、懐かしさも溢れますし、帰ってきたらこれまたエネルギーを充填される思いだっちゃぁ~(^o^)ノ!!!

 

アーバンシュメッケン!

*アーバンシュメッケン!

鳥取市の家の最寄り駅である津ノ井駅から列車に乗って、鳥取駅にやって来ました。

鳥取駅の待合室では、TSKさんいん中央テレビ(フジテレビ系列)の番組が放映されていて、今日はたまたま「TSKオールスター祭り」という、特別番組が放映されていました。

同局が制作している「かまいたちの掟」も出ていて、八尾市の高級賃貸マンションでもカンテレで観れるだけに、やっぱり本場のものは凄いでちゅ。

鳥取駅構内の広告看板ですが、小学校時代からの友達である、TDちゃん(男)はやっぱり偉い!

先日は鳥取県内で開かれたトライアスロンに参加して、長姉が経営するホテルに、彼は泊まってくれました♪

鳥取大丸も8月限りで72年の歴史を幕を閉じて、9月3日からは「丸由百貨店」が72年ぶりに復活します。

そのため塔屋の大丸ピーコックマークも丸由百貨店のものになったようで、暫定的に大丸のものが掛けられています。

まさに鳥取大丸最後の夏となります。

鳥取駅から徒歩なら7分ほどに位置する、洋食堂コロンバさんに行って来ました。

ここは私の鳥取市の家があった、古市地域からも近く、かつては喫茶店や小さい食堂があって、昔その食堂に幼少の頃、父親に連れられて姉2人と行ったことがあり、食事は何を食べたか全然覚えていないですけど、父親は昔ながらの容器である「ちろり」で、美味そうに酒を飲んでいたのを、今でもしっかり覚えていますよ~。

コロンバさんの売りは、「土鍋ハンバーグ」なんです。

なおコロンバさんは、あのハズレを掴ませた「とっとりずむ」の情報で知り、同ブログの名誉挽回の機会を与えるために、行って来たのです(o^_^o)v!!!

メニューはこんな感じです。

私は土鍋ハンバーグを注文して、ソースはデミグラスは普通過ぎなので、トマトソースにしました。

カレーソースとハンバーグ、どんな感じなんだろう?

カウンター席からは、木格子の向こうに、私が幼少時代よく遊んだ、古市公園(現在の名称は、幸町棒鼻公園だったっけ?)が見えます。

ここは鳥取市役所新庁舎の西に位置して、その市役所があるとこは、元々私が昭和44年(1969年)12月5日午前10時30分に生まれた、鳥取市立病院があったとこです♪

前菜としてサラダが来ました。

私の場合ビタミンはジュースばっかりだけに、野菜を直接食べるのって、あまりないのです。

ついにコロンバさん名物である、土鍋ハンバーグが登場しました♪

別途トッピングで、目玉焼きもお願いしています。

さすがは土鍋だけあって熱々で湯気が立っております。

その土鍋ハンバーグトマトソース味+目玉焼きのアップですよ~。

目玉焼きは半熟状態で、箸で切ったら黄身の洪水です。

ついにハンバーグ単体が出現しました。

箸でハンバーグを切ったら、肉汁が溢れ出しまちゅ。

土鍋ハンバーグが美味しすぎて、「食べれば食べるほど腹が減る」状態になり、ご飯も足りません。

おかわりは有料だと思いますが、それでもお金を出す値打はあります。

トマトソースも残っています。

ほど良い酸味がくどくなく、さっぱりしとって、それが良かっただがぁ~!

ホント!、この土鍋を舐め舐めして、最後の一滴まで、トマトソースを味わいたいくらいでちゅ。

 

見事完食です♪

しいて言えばスープがあれば、なお良かったです。

コロンバさんは売りの土鍋ハンバーグだけでなく、その他の定食も美味げであり、この日の日替わりランチも食べてみたいと思いました♪

コロンバさんでの土鍋ハンバーグランチは、1150円とかなりお得でした。

私が実際にお会いしたブログ友で、東京食楽家である、白魔女様、GAEI様、SPYBOY様が鳥取市まで来られて、ここコロンバさんの土鍋ハンバーグを食べられてたら、きっと満足されると思いますよ~。

私も次回来た時は、王道のデミグラスソースのを食べようと思いまちゅ。

とっとりずむも私に前回あんな仕打ちをしましたが、今回のコロンバさんは大当たりだったので、もう過去は水に流して、これからも同ブログの情報を元に、いろいろ鳥取グルメを自分自身で食べて、我がブログでもアップして行きたいっちゃぁ~(^o^)ノ!!!

 

 

予想以上の高給?

*予想以上の高給?

7月1日に転職した、大病院の付属であるグループホームは、給料の締め日は15日で、支給日は25日です。

私も4日前に、新職場で初給与を貰い(銀行振込)、その金額を見たら、半月分の金額なのに、ちょっとどころか、かなり驚きました(o^_^o)v!!!

もちろん7月1日から15日までは、夜勤は全くやっておらず、日勤と遅出だけだったのに、この金額はホント凄いでちゅ。

これで夜勤手当(1回6千円・・・前職老健より千円少ないですけど)が付いたら、さらに多くなるでしょう♪

夜勤7月16日~8月15日の間に7回あり、来月の給料は1か月丸々貰えますので、どれだけの金額になるのか、わくわくしますよ~。

介護の仕事は女性が中心で、介護福祉士の国家試験の受験者も、女性が8割とのことです♪

男の私、介護福祉士の国家資格を持っていても、介護職への就職って、女性の方がかなり有利だったりして?

でも介護職はそのためか、男女ともに給料が平等というのは、良いことであり、男女雇用均等法が発効されて36年も経つのに、一般企業では男女給与格差がまだ、21世紀、令和の時代になっても残っているとこもありますし、八尾民商のように(私もマミヤンに対して、「不適切発言」そしてしまった、主犯者ですけど)セクハラが未だ公然と行われている、役員会員の考えも女性蔑視しているのが多く、民商には婦人部があって、その力を借りないと活動できないのに、「男社会」が強い民商は、ホントどうしようもないですよ~。

給与明細を見て、ちょっと不満に思ったのは、介護福祉士の国家資格手当が5千円、前職老健では1万円だったので、そこは惜しいとこでちゅ。

私は前職老健より今のグループホームの方が、給与は下がると思ってましたが、そこそこ夜勤(とは言っても前職老健より、2日少ないだけ)をしたら、さらなる高給を貰えそうで、経営母体がでかければ、やっぱり全然違いますし、前職老健は今でも好きですし、こちらも処遇改善加算金のおかげで、いい思いをさせてもらっていて、今思うことは、株式会社が運営する高齢者施設は、医療機関との連携が薄いですし、やっぱり前職老健と現職グループホーム、そして2019年9月まで働いていた、小医院が母体のグループホームなど、やっぱり医療と介護、そしてリハビリの連携って、絶対に大切だっちゃぁ~(^o^)ノ!!!

岐阜県と並ぶ東海四県の雄県である静岡県と新たなつながり! そして本当におめでとう!

岐阜県と並ぶ東海四県の雄県である静岡県と新たなつながり! そして本当におめでとう!

皆さんご存知の通り、私が実際に住んだことがある、鳥取県岐阜県、そして大阪府は「マツケン三県」と呼ばれています。

そして住んだことはないですけど、私とゆかりが深い県は「マツケン特別県」に指定していて、まずは実際に会ったブログ友が4人もいる、さらに東京都以外で首都圏、というか関東1都6県で、東京都以外で初めて行った関東地方は千葉県浦安市で、これは昭和59年(1984年)の夏休み家族旅行で、東京ディズニーランドに行ったのであり、そのため千葉県はマツケン特別県となっています♪

そしてもう一つのマツケン特別県は静岡県であり、八尾民商時代に全国事務局員会議で、浜名湖畔の舘山寺温泉で2泊して、私が事務局長時代は浜松市役所によく会議で行っていた、長甥(長姉の長男)が厚生労働省に奉職して、初めての赴任先が静岡市だったという、これまた深い縁があるのです(o^_^o)v!!!

なお長甥は元々は千葉県に異動すると、母親から聞いていた、私も「よっしゃぁ~!、らりほ~!」と、一人で八尾市の高級賃貸マンションで踊っていたのに、蓋を開けたら大阪府摂津市で、私も「長甥は近畿大学法学部時代に、東大阪市の1Kマンションに4年住んでいたのですから、大阪府はないと思ったら、それが舞い戻って来た、ちょっとこれは意外でした。

長甥には移動先の希望先が3つ提示されていて、千葉県と大阪府の他に、長姉に聞いたら北海道だったようで、いくら何でも遠すぎで、観光に行くのなら良いとこですけど、住むとなったらかなりの寒さに耐えるための根性が必要だと思いまちゅ。

私はてっきり東北か九州辺りだと思っていましたよ~。

さて、今日の私は職場グループホームでの日勤で、昼休み中にフロア内の事務室で、昼食を食べた後、スマホをいじっていたら、長姉から電話がかかってきました。

「普段から可愛い弟である私をいじめている長姉から、直接の電話とは「何か嫌な予感が」したのですが、長姉は開口一番「〇〇(長甥の下の名前の漢字表記)が結婚することになった」と話してきて、さすがに私もそれにはビックリするとともに、嬉しさ喜びが溢れ出てきました♪

最近は私の前職老健での「6・10」事件で、泣く泣く断腸の思いで退職したこと。安部元首相が銃撃されて落命したこと(安部元首相もさっさと検察特捜部に逮捕されていたら、落命することもなかっただろに)などなど、暗い話ばっかりだったので、パッと美しい花が咲き乱れたようで、私も力を長甥から与えれた思いです。

長姉とはいろいろ話をして、「○○(長甥)はプルルン裕希より6学年上だけぇ、今年の8月で27歳だな」と言ったら、長姉は「あんた、すぐにそんな年齢計算ができるなんて、凄いじゃん」と言われたので、私も「そうだで、オレは人の誕生年には詳しいけぇ、よく『林家ペー』みたいだと言ったら、長姉も感心したのか笑っていましたよ~。

そして長甥の気になる結婚相手は、彼が静岡市在住時に知り合ったようで、もちろん彼女は静岡県人(静岡市民?)とのことで、私はそれを聞いた瞬間、またまた「らりほ~!」と、狭い事務室内で踊り狂いそうになりました。

彼女の仕事は何なのか、そこまで聞くのを忘れてましたけど、今月限りで仕事を辞めて、大阪府摂津市に移住するとのことです。

そう言えば昨日職場グループホームで、大阪読売テレビ’(ytv・・・日テレ系)を観ていたら、「静岡県で働こう!」というCMが流れていて、これは静岡県の神様が私に何らかのメッセージを与えてくれたのかも知れないでちゅ。

なお二人の結婚式や披露宴は、コロナ渦の第7波大流行のため実施せず、長甥の両親(私の長姉と義兄)と、静岡県の彼女の両親が、お互い大阪府内で会うとのことです。

私は長姉に「大阪と静岡市の中間点なら、名古屋だけぇ、そこで会うのがいいだぁと思うで」と言ったら、「お互い大阪(摂津市)に住むのに、そりゃ大阪で会うのが一番だが」と、まあ長姉も鳥取県から大阪まで、長甥彼女の親御さんも、静岡市からなら新幹線ひかり号に乗れば、大阪まで近いですし、確かにそうでしょう。

なお長姉は3年前に長男(長甥)が静岡市に赴任するため、住むマンションを探しに行くため、静岡市に行ったのですが、途中名古屋駅周辺の発展ぶりを見て、長姉は驚愕したとのことであり、さらに静岡市の不動産屋さんの人が、鳥取県人の方で、これまた驚きましたよ~。

長姉も「静岡市では『さわやかハンバーグ』も食べたし、いいとこで好きな県」と評価していて、岐阜県可児市に住んでいた私と並んで、長姉は「東海地方と相性が良い」のかも知れません♪

なお長甥の結婚相手、つまり彼女は年上みたいで、4歳年上の姉さん女房である、純子ちゃん(長姉と学年同じ)と結婚した、私に通じるとこがあり、ますます長甥には幸せな家庭を築いて欲しいです。

現実的な話として、来年には長甥と彼女との間に赤ちゃんも生まれたら、長姉はおばあちゃんになり、私の母親にとってはひ孫ができるわけで、こちらも楽しみです。

今日の昼休憩時に突然舞い込んだ慶事事、私も純子ちゃんと相談して、何らかのお祝い(もちろん現金でしょうが)をせんとイケンし、改めて静岡県と東海地方の神様には、感謝するしかないっちゃぁ~(^o^)ノ!!!

 

 

これは勘弁してごせぇ~!

*これは勘弁してごせぇ~!

7月8日に暗殺された安部元首相の国葬を、岸田首相ら自民党が、一方的に決めてしまっています。

確かに凶弾によって命を奪われたので、その死を悼む気持ちは大切であり、日本人の心情としては、死者に鞭を打たないというのが美徳とされています。

ただし国葬にするというのは別の話であり、そもそも昭和22年に失効した「国葬法」が今でもあるのならまだしも、昭和42年に行われた、吉田茂元首相の国葬が、「超法規的」に実行されたという前例が、話をややこしくしているのかも知れません(o^_^o)v!!!

安部元首相はモリカケ桜を見る会など、さまざまな疑惑があるのに、自民党は「国民がや多数の海外諸国・地域からも哀悼の意が表されているし、憲政上最長の総理大臣の重責に就かれた方で、国葬に相応しい」と、無理やりに理由を正当化している気がしてならないでちゅ。

それなら佐藤栄作元首相も、日本初のノーベル平和賞受賞者でしたから、こちらは政府と自民党、国民有志主催で開く「国民葬」(費用は政府が一部負担)であり、その後は「内閣・自民党合同葬」が一般的な慣例となっています。

今回の安部元首相の国葬は、全費用を政府が出すとしていて、その原資はもちろん税金であり、アンチ安部の国民も少なくないのに、政党助成金と同じく、支持していない政党に「強制募金」させられるのに、通じるとこがあり、私が払っている税金の少しは国葬に使われるとなると、思想信条の自由を完全に侵しているわけになります。

今回の安部元首相の国葬の話がいきなり出てきて、それについて国会で議論もせずに、早々に閣議決定しそうですが、野党からも反対や疑問の声が上がるのも当然でしょう♪

朝日新聞の1面に載っている、コラム「天声人語」を読んでいたら、まだ国葬法があった戦時中に、山本五十六連合艦隊司令長官が戦死して、国葬されたとのことですが、これは私も知らず、これが最後の「正当性がある国葬」(皇族は除きます)だったのかも知れません。

やっぱり国葬は国民を間違った道へ進めさせるように煽動するという、懸念すべき効果があるようで、令和の今の世でもその体質は変わらないと思いまちゅ。

それにしても自民党の茂木幹事長だったか、誰かは「野党の主張は国民の声や認識とずれているのではないか」と言っていますが、前述のように日本国民1億2千万人全員が、安部元首相を骨の髄まで愛しきっていたわけではなく、ドサクサ国葬モリカケ桜を見る会を「葬り去る」というのが見え見えで、完全に国民を舐め切っていますよ~。

安部元首相が「非業の死」を遂げたことで、「安部を神格化してはならない」と、ブログ友のSPYBOY様も、自身のブログ「特別な一日」で指摘されています♪

法的根拠がない国葬を行おうとして、期日会場まで9月27日に、日本武道館にて開催と、えらく準備段取りが周到過ぎであり、これは安倍元首相が暗殺された当日から、ひょっとしたら決まっていたような気がして、何らかの陰謀説があるのではと、勘ぐってしまうっちゃぁ~(^o^)ノ!!!

 

百貨店があるだけでも、良しとせんとイケン!

*百貨店があるだけでも、良しとせんとイケン!

鳥取県内には鳥取市鳥取大丸米子市のJU米子高島屋、米子しんまち天満屋があって、人口最小県なのに、3つも百貨店があるのは、鳥取県人として誇りです(o^_^o)v!!!

でも鳥取大丸は、Jフロント大丸松坂屋との資本提携は、2018年で終了していて、ライセンス契約も8月限りで切れるため、73年続いてきた「大丸」のブランド名が消えるのでちゅ。

なお鳥取大丸の現在の建物は、建築家である黒川紀章先生が、設計されたものです♪

ドアノブの、「〇に大」、これも9月からなくなるのでしょう。

「株式会社鳥取大丸」、昭和49年3月1日となっていて、でも鳥取市に大丸が進出したのは、戦後間もない昭和24年(1949年)ですので、建物を新築した時に、大店法の届け出更新で、変わったのかも知れませんよ~。

古い写真ですので、ピンボケしてますけど、かつては鳥取県智頭町にも、鳥取大丸の「支店」があったのですから、今思うとちょっとびっくりです。

なお今はここに、阪神間の高級スーパーである、いかりさんの智頭町支店の建物が建っています♪

なお鳥取市で初めてできた百貨店は「丸由百貨店」という、古くからの呉服屋さんが昭和7年(1937年)に創業して、その12年後に大丸になったわけです。

そして9月3日からは、「先祖返り」したのか、鳥取大丸は「丸由百貨店」(まるゆうひゃっかてん)となり、73年ぶりに屋号を旧名に戻して、再出発します。

女性店員の制服や、包装紙と紙袋も公表されています。

女性店員の制服がとにかく可愛く、今の鳥取大丸のものよりも、良い意味で派手であり、紙袋は「〇YOU」と書かれていて、これで丸由と読むのですから、何か丸井みたいでちゅ。

鳥取大丸の屋上塔屋に付けられている、大丸のピーコックマークの撤去も行われています。

なお昭和58年(1983年)に登場した、ピーコックマークですが、その前は「〇に大」の昔ながらのマークが付けられていましたよ~。

右側5階の上にある「DAIMARU」のローマ字表記も、「〇YOU」、もしくは「丸由百貨店」に変わるのでしょう。

なお左隣の高層ビルは、ホテルニューオータニ鳥取です。

これは初代、というか、先代の鳥取大丸で、これが当初は今回屋号復活する、丸由百貨店だったわけです。

それにしても厳めしい外観、これには乳幼児期にこの中に入ったことがある私でも、「こんな建物だったの?」と、思ってしまいまちゅ。

家族でよくこの昔の大丸にも行き、大食堂では私は決まってお子様ランチか、ざるそばを食べていました。

それとこの昔の大丸、確か山陰地方で初めてのエレベーターが設置されたと聞いたことがあり(間違えていたらゴメンナサイ)、エスカレーターも登りのものだけはあったのですから、大したものです♪

エレベーターはには、もちろん百貨店の華である、エレベーターガールもいて、そのエレベーターが古臭い、超レトロなものでしたが、今でもそれについてはしっかり脳裏に焼き付いていて、京都市の中華料理店ビル「福菜館」には、日本最古のエレベーターが現役であるようなので、一度はそこにも行ってみんとイケンなぁと思いますよ~。

百貨店は全国的に受難の時代であり、鳥取県よりも人口が多い県でも、百貨店がないとこもあり(徳島県山形県とか)、「マツケン三県」である岐阜県は、岐阜市高島屋があるだけですし、スマホニュースを読んでいたら、広島県岡山県資本の天満屋が撤退しまくって、都会でものほほんとはしていられませんし、西日本で一番大きい町である大阪府も、あべのハルカス近鉄百貨店本店は元気ですが、三越松坂屋はとうの前に撤退してますし、一時は大阪駅ヨコにも伊勢丹があったのの、どうも大阪人の趣向に合わなかった(京都駅の伊勢丹は元気なのに!)のか、やっぱり商売ってその地域性や文化とかがあるので、マジに難しいでちゅ。

鳥取大丸も大金をかけて、大リニューアルをして、無印良品の売り場も増床しましたし、全国で約100店舗を展開する、食料品専門店「北野エース」も地階に出店しましたので、これらのテコ入れは、Jフロント大丸松坂屋との、ライセンス契約が切れることを見越して、そのような手を打ったのだと思います。

鳥取大丸から、〇YOU百貨店に戻っても、鳥取市内では百貨店の火は灯り続けますので、とにかく鳥取市の駅前や中心市街地の起爆剤として、頑張って欲しい、いや頑張ってもらわんとイケンっちゃぁ~(^o^)ノ!!!