平和の有難味を噛みしめる・・・「鳥取県護国神社」訪問♪


*平和の有難味を噛みしめる・・・「鳥取県護国神社」訪問♪
鳥取砂丘付近にある、「鳥取県護国神社」に行ってきました。
いつも「鳥取・八尾日記」を熱く応援して下さっている、「スーパー大阪人」であるBARin様の「大阪護国神社」の訪問記事を読んで、どのようなとこか見に行ったわけです。
写真は旧「砂丘パレス」というレストハウスで、今では御覧の通り「鳥取県でも有数の廃虚」となっています(笑)♪
最上階の丸い部分は「回転レストラン」になっていて、鳥取砂丘の威容を楽しみながら飲食できました。
私も幼少の時に行ったことがあります。
確か「お子様ランチ」を食ったような?

鳥取県護国神社の鳥居です♪

「比島戦没者慰霊碑」です。
フィリピンでの戦没者を慰霊する石碑でしょう。

あまり神社の参道といった感じがしません(汗)。

「陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑」です。
戦局が悪化する中、学徒出陣で大学生が学業を志半ばで戦地に駆り出されて行きましたが、「河原城」の忠魂碑でも触れたように、「少年義勇兵」も尊い命を戦地に散らしました。
この「陸軍少年飛行兵」も、大空で散って行ったわけでしょう。
少年飛行兵も死の直前には、「お母さん〜!」と叫んでいたでしょう・・・。
なんて可哀想に・・・。
戦争は絶対に許されんっちゃぁ〜!!

「古南決死隊顕彰碑」です。
右の小さい方の石碑に、顕彰碑の由来について書かれていると思いますが、文字が劣化して解読困難でした。
決死隊と聞くと、日露戦争の旅順攻略(二百三高地)の「白襷(しろだすき)隊」が有名です!

こちらがその「白襷隊」です。
各師団の歩兵・工兵・衛生隊から3106名が選抜されて、総指揮官には中村覚少将が就きました。
夜間に行動しますので、味方の識別をするために、暗闇でも分かりやすい「白色」の襷を付けたわけです。
隊員が地雷を踏んだことで、ロシア軍に夜襲を悟られて、集中砲火を浴びて白襷隊からは多くの犠牲者が出ました。
中村少将も重傷を負いました。

「海軍忠魂記念碑」です。
忠魂碑の形って、このように砲弾(にしては長すぎですが)を模したものが多いような?
私の母方祖父が「大日本帝国海軍将校」でしたが、母親は「(私から見て)おじいちゃんは勲章もたくさん貰っとったで〜」と、祖父について話をしていました。
私も祖父の海軍時代の写真を見て、当時幼子だった母親を、軍服姿の祖父が抱いている写真も見たことがあります。
母親は「でも戦死せずに、生きて日本に帰って来てくれて良かった」とも語っていました。
娘としては、当然の思いですよね〜。
その祖父も私が小学校4年生の時に、脳溢血で他界しました。
お菓子が大好きな、優しい祖父でした。

「彰忠碑」です。
鳥取市出身の佐須知源次郎陸軍大佐が、日露戦争の時に戦地に兵員を送る陸軍輸送船「常陸丸」の指揮官として、玄界灘を戦地目指して航行中、ロシア艦隊に見つかって砲撃を受け常陸丸は沈没して、佐須知大佐をはじめ千人もの兵員が死亡した事件を慰める碑です。
私が観た日露戦争関係の映画でも「常陸丸」が出ていて、ロシア戦艦は無防備の陸軍輸送船である「常陸丸」に艦砲射撃を無慈悲に加えて、「常陸丸」側も兵士たちが小銃で応戦しましたが、相手は戦艦だけに刃が立つわけがなく、沈没に至ったことが映画の中で描写されていました。
映画では「常陸丸」の幹部が軍旗を焼いて、最後は自決していましたが、実際の佐須知大佐も自決したのでしょうか?
常陸丸」の指揮官が、我が鳥取市の出身だったとは、夢にも思っていなかっただけに、驚きでした!!
玄界灘で非業の死を遂げた、先輩鳥取市民のためにも、平和な時代を築かんとイケン!

本殿が見えてきました♪

このようなものも展示されています。
「機関銃」、いくら今から70年前ほどの物とはいえ、迫力あります。
他にも鉄兜や飯ごう、水筒なども一緒に展示されています。

本殿です♪
「今の日本の平和がいつまでも続きますように」との思いを込めて、手を合わせました。

本殿入口階段前に立っている、2本の支柱の片方の裏には、「日清日露戦役従軍凱旋記念」と書かれています。
坂の上の雲」の時代と、ぴったり当てはまるっちゃぁ〜!

鳥取県護国神社からは、このように鳥取砂丘も一望できます♪
手前の重機が目ざわりですが、それと電線も(笑)!

鳥取県護国神社の鳥居と旧砂丘パレス、鳥取砂丘です。

鳥取砂丘に南にある「多鯰ヶ池(たねがいけ)」も見えます。
多鯰ヶ池は伝説が言い伝えられている池で、水深は中国地方の湖沼では一番深いらしいです。
今では平和そのものである、鳥取砂丘の風景です。




昭和55年(1980年)に公開された、日露戦争の激戦地だった旅順攻略および、将兵の戦場での苦闘と悲惨さを描いた名映画、「二百三高地」の予告編動画です!
主題歌は、さだまさしさんの「防人(ささもり)の歌」ですが、本当に泣ける映画です!
当時の私は小学校5年生でしたが、この映画メッチャ見たかったです。
今は亡き夏目雅子も出演しています。
肉弾突撃シーンや、この映画を作製するために複製した「28サンチ(センチ)砲」の咆哮シーンは見ものです!
前述の「白襷隊」も出てきます。
これらは伊豆大島でロケしたみたいです。
そして、あおい輝彦演じる小賀中尉が、仲代達矢演ずる乃木大将に「灼熱地獄で鬼となって焼かれていく部下たちの苦痛を、乃木式の軍事精神で救えるのですか〜!!」と、乃木大将に抗議するシーンも感激ものです!
昭和56年(1981年)には、TBS系列で「二百三高地 愛は死にますか」と、テレビ版も放映されていました♪
こちらのDVDもレンタルされとるみたいなんで、是非ともテレビ版も見たいです!
戦争モノの映画を見ると、改めて「平和の有難味」を痛感します。
私が勤める中小企業団体の理念の一つに、「平和だからこそ商売ができる」と書かれています♪
21世紀の今でも、世界各地では紛争が起きている地域もあるだけに、争いのない世界が、1日も早く来て欲しいと思います!