「鳥取・『可児』日記」!


*「鳥取・『可児』日記」!
JR岐阜駅から汽車に乗って向かった先は、ここ岐阜県可児(かに)市なんですよ〜。
私は昔仕事で可児市に住んでいたことがあり、今回の東海地方旅行に合わせて、訪問することにしました♪
今回は「鳥取・可児日記」というお題にしていますが、「鳥取・八尾・可児日記」にはせず、あえて「八尾」を外しました。
まさにマツケンの「鳥尊八卑思想」(ちょうそんやひしそう)が丸出しです(笑)。
なおマツケンとかかわりが深い「三大都市」の評価は、下記の通りでちゅ。
良い子・・・鳥取市(昭和45年くらいから中学校給食を行っているし、なんと言っても私が生まれ育った町)
普通の子・・可児市(もちろん可児市にも、中学校給食はありますよ〜)
悪い子・・・八尾市(長いこと中学校給食をしなかったのが超マイナス、平成27年度から行う中学校給食も、「選択制」というのが惜しい)
鳥取・可児日記」、一度この議お題でブログを書きたかったので、ついに宿願が叶ったっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!


上の写真はJR太多線可児駅、下は名鉄広見線新可児駅です。
なお駅の周りはなにもないと言っても、過言ではありません(*^^;)。
でも私が住んでいた20年あまり前と比べても、全然変わっていないのが、むしろ逆に嬉しいですよ〜。

この日はホテルパークイン可児に泊ります♪
8階建ての建物ですが、可児市内では一番の高層建築物かも?

TVチャンネルのご案内をみたら、放送局が「中京広域圏」(愛知県・岐阜県三重県が放送対象)なので、「(静岡県を除く)東海地方に来たんだなぁ〜」の思いが強くなります(o^_^o)v!!!
右下に不適切な文字が書かれていますが、気にしない。気にしない(笑)。
いつも「鳥取・八尾日記」を応援して下さっている、「東海地方の太陽」として誉れ高い、momo003様は東海テレビが好きそうでちゅ。
東海テレビが制作している「ぐっさん家」の影響でしょうか?

ホテルの自転車を借りて、可児市内をポタリングします。
名鉄日本ライン今渡駅前の道路案内看板ですが、「名古屋」の文字が輝いているような?
花フェスタ記念公園ですが、確か平成17年(2005年)に、愛知万博に合わせて可児市内で、お花など植物の祭典「花フェスタぎふ」が、開かれたとこだと思います♪

可児市は日本でも在住するブラジル人の割合が多いので(確か日本一?)、このようにブラジル料理のお店もあります。

私が勤めていた会社の南門です。
かなり大きい事業所です。

これは私が所属していた部署「車載機器センター」の建物です。
昔とほとんど変わっていません。
なお当時はバブル景気絶好調の時でしたので、私ですら手取りの月給が35万円もありました(o^_^o)v!!!

ここには私が住んでいた社員寮「東山寮」がありました。
なお写真の建物は新築された、新しい寮です。
名前も東山寮のままでしょう♪
寮がある「岐阜県可児市土田5700番地」、覚えやすい住所ですので、絶対に忘れることはないです!

名鉄可児川駅です。
名古屋市内に遊びに行く時は、ここから電車に乗っていました。
なお東山寮はこの可児川駅と、日本ライン今渡駅の中間にあるので、どちらも結構遠かったです(*^^;)。

岐阜社会保険病院です。
昔は「東濃病院」という名前でした。
私が風邪をひいた時は、東濃病院に行って診察して薬をもらっていましたよ〜。

可児市の土田地域を散策中、素晴らしい一本木を見つけました。
田舎の昔ながらの風景という感じで、これまた何とも言えんっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

グリーンキャッスルビルです。
ここには「太閤」という居酒屋があって、毎週土曜日は必ず行ってビールを飲んで、名物の「可児(蟹・・・ワタリガニ)の唐揚げ」を食べていました。
残念ながら太閤さんはとうの以前に閉店しているみたいです(>_<)。
でも嬉しかったのは、「CASTLE」の文字の下にある、「木綿」さんというスナックが、今でも営業していることです♪
木綿さんには私を可愛がって下さった部長(北海道函館市出身)に、連れて行ってもらったことがあります(o^_^o)v!!!

土田地域内にある由緒ある「白髭神社」です。
4月の上旬には「やぶさめ」のお祭りがあって、走る馬に乗った人が弓で的を射る、素晴らしく荘厳とのことです。
はやぶさめの光景は見ていませんが、祭りが終わって境内から出て行く馬は見たことあります。
その時に可児市の歴史の深さに、改めて感動しました。
なお可児市の「飛び地」市街地である、旧「兼山町」は、織田信長の小姓だった森蘭丸の出身地でありまちゅ。

名古屋市富山市を結ぶ、以前の国道41号線です。
私も知らなかったのですが、国道41号線は木曽川の対岸である、美濃加茂市の方に経路が移っているみたいで、かつてのこの41号線は、岐阜県道84号線になっています。
県道に降格になっても、両側4車線の道路で、交通量もかなりあるだけに、今でも可児市の道の大動脈には変わりないっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

「ようこそバラのまち、可児へ」、バラといえば広島県福山市が有名ですが、可児市もバラで町おこしをしていたのは、知りませんでした。
前述の花フェスタぎふの影響でしょうか?
いつも「鳥取・八尾日記」を応援して下さっている、「スーパーアーバンレディ」として誉れ高い、rosa_roja様にも教えてあげたい情報ですよ〜。

私が勤めていた会社の北西にある、東濃信用金庫です。
給料日になったらここでお金を引き出していました♪
建物もその当時と一緒で、全然変わっていません。
改めて可児市って、旧国道41号線の沿道のお店が増えた以外は、さほど変わっていなくて、私が住んでいた時にタイムスリップしたような気持ちになれました!

木曽川の橋上から見た景色です。
日本ライン下りの乗船場も、この近くにありまちゅ。
でも恥ずかしながら私は、日本ラインは未体験のままでした(*^^;)。
いやぁ〜、一度は乗船してみんとイケン(o^_^o)v!!!

可児市役所です。
町の規模の割には、大きい市庁舎かもしれません。
それにしても可児市って、名古屋市からもそんなに遠くないし、環境もいいので住み良い町です♪
名古屋市ベッドタウンとして、昭和50年代には岐阜県内で最も人口増加率が多い町で、昭和57年(1982年)に、それまでの可児郡可児町から、市制施行されて現在の可児市が誕生したわけです。
余談ですが大阪府で一番「人口『減少』率」が2番目に高いのが、八尾市なんですよ〜。
久しぶりに訪問した可児市ですが、4月には岐阜県関市よりも北に入ったとこにある、桜の名所である「美濃千本」に、会社の部署で行ったことも、これまたいい思い出です。
素晴らしい思い出を私にたくさん授けて下さった可児市に、改めて感謝せんとイケンっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
この時の経験が後々の私の人生にとって、いい糧になったのだと確信しています!