ドイツのスーパーメトロポリタンに突撃! 鳥取県人はドイツでも人気者だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!


*ドイツのスーパーメトロポリタンに突撃! 鳥取県人はドイツでも人気者だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
旧東ドイツのハルツ地方の中心都市である、ヴェルニゲローデで宿泊して、翌朝は豪華な朝食を食べました♪
ビュッフェ形式ですので、好きなものを好きな分だけ食べることができますよ〜。
私は普段はコーヒーを進んで飲まないのですが、ドイツはイギリスとは違って、紅茶よりもコーヒーの方が好んで飲まれますので、私もそれにならってコーヒーを頼みました。

見てみて〜!、白魔女様〜!!
ホテルツアポストの窓のノブの根元に、ほうきに乗って窓から外に飛び立つ魔女の絵が描かれています(o^_^o)v!!!
でもこの魔女は「黒魔女」ですよね(笑)。
電話番号も書かれていますが、これはホテルの番号でしたっけ?

ヴェルニゲローデ駅は本当に田舎の小さい駅で、番線も2つしかありません。
非電化路線ですので、線路上方には架線が張られていないので、メッチャすっきりした感じがしまちゅ。
ということですので、ヴェルニゲローデ駅には絶対に「電車」で行くことはできんっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

「電車」が走れない非電化路線ですので、鉄道車両ディーゼルエンジンを積んで、その動力で走る「気動車」が線路上を走るわけです。
なお倉吉駅鳥取駅〜大阪駅〜京都駅間を走っている「スーパーはくと号」も、ディーゼルカー、つまり気動車なんです♪
このドイツ鉄道の快速列車用のディーゼルカーですが、結構速くて振り子機能も付いていますので、カーブでも減速せずに走っていました。

ヴェルニゲローデ駅から2回ほど乗り替えて、一路ドイツの首都ベルリンを目指します。
上の写真はドイツの高速鉄道である、都市間超特急「ICE・・・イーツェーエー」の乗降口付近の壁に付いている速度計です。
私が乗ったICEは初期の車両ですので、通常の最高速度は250キロで、ダイヤが乱れて遅れを取り戻したい時は、時速270キロまで出せるみたいです。
最新のICE3なら、最高速度は320キロだったと思いまちゅ。

ベルリン中央駅に到着です。
ここはかつて西ベルリンと東ベルリンの境界だったとこで、今では再開発も進んでいて、このようなガラスドーム張りの新しい中央駅も竣工したわけですよ〜。
私が乗ったICEはベルリン中央駅の12番線に到着で、ここでドイツ人友人のフランク レッフェラー君と待ち合わせです♪


フランク君とは2年ぶりに再会です!
彼は現在大学生で、今はベルリンから西に250キロ離れた、ブラウンシュヴァイクという町で1年間、プラクティカント(研修生)として、フォルクスヴァーゲンのオフィスで働いています。
今年で30歳になったフランク君も、来年で大学も終わるみたいですが、日本と違って大学生活はのんびりできるみたいですので、この辺の違いは日本人からはまったく想像できません(*^^;)。
なおフランク君は13年前に1年間、東京都武蔵野市の吉祥寺にある明星学園高校に留学していました。
そのため日本語も上手で、さらに英語やフランス語も話せるだけに、ホント凄いです。
彼は日本語検定2級保持者、私はドイツ語技能検定3級保持者ですので、私の方が格下なわけです(笑)。
フランク君が明星学園に留学していた時に、英語の授業で先生を助けてあげたみたいです!
これだったらどっちがイングリッシュティーチャーか、さっぱり分かりませぬ(>_<)。
フランク君は東ベルリンの出身ですので、旧東ドイツ、つまり社会主義国で生まれて、ベルリンの壁が崩壊する1989年までは、社会主義の国を見てきたわけでです。
以前他のドイツ人友人の奥さん(もちろん旧東ドイツの人)も話していましたが、「東ドイツでは英語よりも、ロシア語の勉強が大切だったの」と話されていました。
上の写真の通り、再会を祝して乾杯です!
私とフランク君が持っているジョッキは、「マース」というジョッキで、なんと1リットルものビールが入っとるっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
書くのが遅れましたが、このビアホールはミュンヘンのビールや料理が楽しめる、ベルリンでも人気のビアホールなんでちゅ。
ベルリンからミュンヘンは全然遠いのですが、フランク君も「ミュンヘンに行ってみたいなぁ」と話していましたよ〜。

私たちの席の前では、郷土音楽の生演奏も行われていました(o^_^o)v!!!

ビアホールの外に出たら、目の前に巨大なビルが建っています。
フランク君に聞いたら、「ベルリーナ ツァイトゥング(ベルリンのニュースペーパー)」、つまりベルリン新聞社の本社ということです。
う〜ん、やっぱり人口400万人を擁するベルリンは、ドイツの首都だけに大きい町です♪

旧東ベルリンの中心部である、アレクサンダープラッツです。
1989年の東欧崩壊ですが、東ドイツではここアレクサンダープラッツでも、多数の市民が集結して、反政府デモが行われたとのことです。
幸い東ドイツの場合は、ルーマニアのように流血の革命にならなかったので、これは良かったです。
ルーマニアチャウシェスク大統領は、最後は形式的な裁判にかけられて、死刑判決が下されて、即日妻とともに銃で処刑されたもんなぁ(>_<)。
東ドイツルーマニアもそうですが、社会主義時代は為政者の監視が強くて、窮屈な社会でしたが、失業もなかったのでその点は良かったとのことです。
旧東ドイツの国民も「オスタルギー」という言葉で表わされるように、「東の時は過当な競争もなくって楽だった。人々はお互い助け合っていた」と話していますし、ルーマニア国民も「(処刑された)チャウシェスク、あなたが恋しい」と、彼のお墓を訪れる国民も多々いるとのことです。
フランク君も話していましたが、「今の東の人間は、自分のことしか考えていない」と話していましたが、競争を基本とする資本主義の弊害を皮肉った発言だけに、思わず笑ってしまいましたよ〜。
上の写真の前方の高い球体の展望台を持った塔は、旧東ドイツが建てたテレビ塔です。
私も13年前に初めてベルリンへホームステイで行った時に、上ってみました。
左の高層ビルは旧東ドイツの高級ホテルだった、パークインです。
昔は本当に高級だったみたいですが、今では格も下がっているみたいでちゅ。
テレビ塔ですが、旧東側から見たら、影が十字架のように映るみたいで、旧西側はそれを皮肉って、「宗教を否定する社会主義に対する、神の怒り」と言っていたとのことです。
そういえばフランク君の家は無宗教だと言っていましたが、これも旧東ドイツで生まれ育った名残なのでしょうか?
私の旧西ドイツで生まれ育った友人には、カトリックが多いでちゅ。
でも旧東ドイツや旧東ベルリンには、立派な教会がたくさんあるし、東ベルリンには「ベルリン大聖堂」という素晴らしい教会もありますので、社会主義と宗教の関係って、ホント資本主義国で生まれ育った私から見たら、分かりにくい半面興味深いです(o^_^o)v!!!

ベルリンのパンコウ区(もちろん旧東ベルリン)にある、フランク君の実家で2泊します。
フランク君の実家は団地(集合住宅)で、間取りは4LDKとなっています♪
シャワー中心の西洋人ですが、バスタブもありますので、本当にありがたいです。
とは言っても私はお風呂には浸からずに、シャワーで済ませましたが(笑)。
4LDKと書きましたが、部屋自体はこのように「ウナギの寝床」となっていて、幅は狭いです(汗)。

この日の夜はフランク君の両親も一緒に、近所のレストランに行きましたよ〜。
私はランプステーキを食べましたが、さすがに日本人から見たら、量が多いです(>_<)。
フランク君はヴィンナーシュニッツェル(ウイーン風カツレツ)を食べていました。

フランク君一家です。
もう一人フランク君には5歳年下の弟であるロバート君がいるのですが、彼は現在ドルトムントに住んでいて、残念ながら彼と再会することはできませんした。
美味しい料理で余は満足じゃ!
もちろんビールもたらふく飲みました。
さらに帰宅後もビールを大量に飲みまくって、完全にお祭り騒ぎだったっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
フランク君のお母さんも、黒いビールを続々と飲んでいましたが、かなりの酒豪とお見受けました♪
絶対に私たちって、ムスリムにはなれんだろうなぁ〜。
結局深夜の3時まで、宴会が続いていました。

翌朝は朝食後、昼ごろまでゆっくりして、午後は散歩に行ってきました。
私が13年前(2000年)に「ドイツ語修行」として、1週間のホームステイをするために初めてベルリンで滞在した、私の別のドイツ人友人(私より11歳年上)であるブーダックさんが以前住んでいた家にも行ってみたのですが、今では廃墟化して、記念撮影をした1階のバルコニーも、見事に壊されていて、メッチャ悲しい気持ちになりました(>_<)。
気を取り直して、アジアンインビスのお店に入って、ビールを飲みながら小休止しました。
店から出る時に私の斜め向かいに座っていた、金色のでかいネックレスを付けた怖そうなお兄さんに、思いきって「チュース、シェーネンターク ノッホ(バイバイ、良い1日を」と話しかけたら、向こうも「チュース、グライヒファルス(バイバイ、こちらこそ)」と、笑顔で返答してくれました♪
ドイツ人のいいとこって、このように見知らぬ相手でも、あいさつする習慣が根付いているので、なんかすぐに打ち解けそうな感じがしまちゅ。

この日の夜はフランク君一家と、ベルリンのアレクサンダープラッツで開かれている、ヴァイナハツマルクト(クリスマスマーケット)に行きましたよ〜。
さすがにキリスト教の国のクリスマスって、とにかくメッチャ美しいです(o^_^o)v!!!

ベルリン、いやドイツの名大学である、フンボルト大学です。
アインシュタインもここの卒業生でしたよね?
2階の真ん中の窓には、マルクスレーニン肖像画が掲げられていました。

クリスマスマーケットの入り口です♪

暗い写真ですが、左の大きい建物はベルリン大聖堂です。
右にはライトアップされた、テレビ塔も見えます。


まさにお祭り、カーニバル状態だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
フランク君のお母さんからも注意されましたが、やっぱりスリが発生するみたいです。

クリスマスマーケットの定番の飲み物といえば、やっぱり「グリューンヴァイン」(ホットワイン)です!
これを飲んだら体の心から温まりますので、30分は外にいても大丈夫だといいます。
写真はないですが、「ジャガイモを練ったものを天ぷらにした」食べ物(上にスモークサーモンも乗せて)を頂いたのですが、最初はサクサク感がしていて美味いと思ったものの、ちょっとしてから気分が悪くなりました(>_<)。

翌朝は現在フランク君が住んでいる、ブラウンシュヴァイクに向かいます。
今思うと久しぶりに、ブランデンブルク門でも見ておけば良かった(*^^;)。

これがベルリンを東西に分けていた、「ベルリンの壁」ですよ〜。
私も久しぶりに壁を拝見しました(o^_^o)v!!!

「日本地図への迂回路」と書かれた壁もあります。
日の丸や富士山も描かれていまちゅ。
それにしてもたくさんの落書きがありますが、自由に書いていいのでしょうか?


私も真似して落書きしました(笑)。
鳥取県鳥取市桂木○○○番地 マツケン ドイツ語修行中!」と書いておきました♪
フランク君が上の2枚の写真を、こっそりと「盗撮」してくれてました。

旧東ドイツの国民車である「トラバント」です。
トラバントのエンジンは2サイクルですので、白煙を撒き散らすため環境に良くないのですが、このトラビ(トラバントの愛称)は今のドイツのナンバーを付けていますので、エンジンを4サイクルに換装したのでしょうか?
旧東ドイツ時代は、トラバントなど車を注文しても、納車までに8年〜10年かかるみたいでした(>_<)。
でも考え方を変えれば、納車までの期間が長いので、その間車の購入資金を貯金できるという利点もあったみたいです(o^_^o)v!!!

アウトバーンを走って、一路ブラウンシュバイクまで行きたいとこですが、その前に寄るとこがあるのでちゅ。
それにしても走りやすそうなアウトバーンですが、速度無制限区間もあるものの、100キロや140キロ制限の区間も意外と多いのですよ〜。

アウトバーンから下道に下りて、ある田舎の村に向かいます。
この村には私が初めてお会いする方が、住んでいるのです。
詳細は次回で紹介するっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!