*寒さも暖める純子ちゃんの優しさ♪
12月と言えば、冬のボーナスの時期です(o^_^o)v!!!
私が平成27年(2015年)1月7日まで勤めていた民商(民主商工会)ですが、八尾民商にいた平成8年(1996年)3月から、平成26年(2014年)の間で、当初は待遇が良かったのです。
26歳で八尾民商に入局した年の冬のボーナスは、2か月分で手取り44万円もらったのですよ〜。
八尾民商の規定では、夏は1.5か月、冬は2か月のボーナスが支給されるようになってますが、会員数は最高時2600人近くいたものの、平成11年(1999年)から激減し始めて(今では会員数900人を切っているのでは?)、ボーナスは夏は0.5か月、冬は1か月の支給と、額が下がってしまったのでちゅ。
民商末期の半年間在籍した、大阪市都島区の都島民商なんか、当初「ボーナスは○○十万円出す、給料も上げる」と大風呂敷を広げていたくせに、舌の根も乾かぬうちに、「給料は減っても増えることはない」と言い出す始末で、私も「よくもまあそんな大ウソつけるもんだで!」と、怒り心頭だったのです(*^^;)!!!
それでも平成26年の冬のボーナスは、当初の約束通りもらうため、私も頑張ったのですが、仕事納めの当日になって「ウチはボーナスなしだ!」と言われ、ガクッとしたものです(>_<)。
もちろん配偶者の純子ちゃんも、そのボーナスを当てにしていただけに、我が家の家計は大いに狂ってしまったのです(汗)。
まあそのようなウソつき団体は、先が見えているだけに、サッサと自ら滅んでくれるでしょう(笑)。
民商の世界から足を洗って、介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)、そして介護実務者研修(旧ヘルパー1級)の資格を取得して、八尾市内にある社会福祉法人信貴福祉会ひばり作業所という、知的障害者の授産施設へ任期付き職員で働いていた時は、夏と冬のボーナス+年度末のボーナスまでもらっていて、その点は都島民商のような、吹けば飛ぶような小さい組織とは、全然違うのです。
平成28年(2016年)5月からは、医療法人Y田医院に就職して、付属の高齢者介護施設で働きだしましたが、ここは信貴福祉会よりも給料がかなり高く、当然ボーナスも夏冬と2回支給されて、待遇は悪くはありません♪
さて私も先日冬のボーナスを頂きましたよ〜。
私も銀行に行って、振り込まれたボーナスを引き出して、封筒に入れて、純子ちゃんに渡しました。
帰宅した純子ちゃんにボーナスが入った封筒を渡して、彼女が中身を数えたら、開口一番「こんなにもらえるの〜!!!」と、えらい喜びようだったっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
なお純子ちゃんの会社は、経営状態が今は良くないようで、ボーナスをもらえないとのことでちゅ。
純子ちゃんも「これでゆうくん(プルルン裕希)が行きたがっている塾に通わせることができる」と、とにかく私は感謝されまくりでした。
私が八尾民商の事務局長時代は、純子ちゃんも年収が600数十万円あって、私も年収500万円あったので、2人合わせて1100万円を超す年収があったわけです。
そりゃぁ〜JR八尾駅から歩いて3分の一等地に建つ、3270万円の高級分譲マンションも買えるわけです(笑)。
でも都島民商に行かされてからは、年収は激減、純子ちゃんのそれも同じくだけに、泣く泣く高級分譲マンションを手放して、欠陥賃貸マンションに引っ越すことになった(その後現在住んでいる、高級賃貸マンションに引っ越せたのは救い!)のは、今でも悔しいです(汗)。
まあ過去の嫌なことは、いい加減に忘れたいのですが、私が負った心の傷は、それだけ深いということです。
さて冬のボーナスの金額を見て、メッチャ喜んでいた純子ちゃんですが、封筒からお金を取り出しました。
何かなぁ〜と思ったら、「これはけんちゃん(マツケン)にあげる」とのことなんですよ〜。
ということで、↑の写真の通り、福沢諭吉様を3枚、私に下賜して下さったのです♪
私も予想していなかったことですし、3万円は大きい額だけに、本当にいい「臨時小遣い」がもらえて、マジに嬉しい限りでちゅ。
純子ちゃんとは平成11年(1999年)に結婚して、平成13年(2001年)には、プルルン裕希も生まれましたが、結婚生活も今年で18年なのに、今も変わらぬ優しさ、改めて純子ちゃんが素晴らしい女性だということを、思い知らされた感じだっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!