最低必要手取り給与の「大台」に乗りました♪

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*最低必要手取り給与の「大台」に乗りました♪

4月30日は給料日で、銀行に行って給与振込額を見たら、「大台」に乗っていて、私もウハウハでした(o^_^o)v!!!

個人によって「文化的生活ができる給与額」の感覚は違うでしょうが、共産党八尾柏原地区委員会の専従職員の給与(遅配もあり)が、14万円だったのには、マジ驚愕しましたよ~。

そりゃぁ~共産党の専従の配偶者は、公務員や教員、看護師といった固い職業の人が多いのも、分かる気がします。

介護の世界も給与は安いのは、皆さんもご存知でしょうが、ほとんど夜勤の私の場合は、さほど悪くもないですし、1月31日に貰った、処遇改善加算金の33万円もありましたので、今の私にとっては、介護は「儲かる仕事」なんです♪

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ただし夜勤手当は7千円ですから、1日日勤が増えたら、夜勤手当はその分がゼロになるというリスクもありまちゅ。

幸い4月は本来日勤が1日入っていたのに、同僚が熱を出して、私が休みを返上して夜勤に入ったのも、大きかったですよ~。

7月になればボーナス(私は初めて貰う権利を得ていると思います)もあり、この金額は処遇改善加算金と比べたら、大したことはないと聞いたことはありますが、そこからプルルン裕希の明治大学授業料も、出さんとイケンわけです。

ちなみに「大台」ですが、あと5万円多ければ、八尾民商事務局長時代の手取り給与と同額になるのです。

ただし5万円差のうち、3万円は残業代なので、実質的には2万円差まで迫っているわけです。

もちろん民商末期の半年間いた、都島民商の時よりも、今の老健の給与の方が多いのです。

そもそも八尾民商とケンカして、都島民商に行った私ですが、給与額は八尾時代よりも23%も減少したという、今でも許せない屈辱を受けたのです。

その怒りが爆発して、私が八尾民商の事務局長時代から合わなかった、都島民商のK村とは揉めてばっかりで、K村が私を侮辱する言葉を吐いたので、それがとどめの一発となり、18年9か月いた、民商の世界から脱退して、共産党も即日離党したわけです。

それから介護福祉の世界に転向して、2019年3月に介護福祉士の国家資格を取り、その時は「民商共産党、ざまあみやがれ!」と、喜びを感じたのです♪

私が介護の世界に入る時は、純子ちゃんが一番驚いてましたが、彼女も勤めていた小さい商社が潰れる寸前で、残務整理の後退職して、いくつかのつなぎの仕事をした後、病院の看護助手(実際は介護職)として入職して、介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級

の資格を取り、そして実務者研修(旧ヘルパー1級)の取得も現在目指していまちゅ。

純子ちゃんも病院で勤めているのが有利だったためか、既にコロナワクチンを接種していて、羨ましい限りです。

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シリーズ化したプルルンマツケンの幼少期写真です。

生後6か月ですので、昭和45年6月に鳥取市古市の昔の家の隣で、写されたものでしょう。

黒い服を着ているのは、右が長姉、左が次姉で、その後ろには近所の子どもも「見学」来て、写真にちゃっかり収まっています。

母親に抱かれているのが、私ことプルルンマツケンで、髪型が何ともカッコいい、「バルカンヘア」(私が命名)というのが、これまた素晴らしいですよ~。

私は「ぎり」(つむじ、うず)が2個あって、そのため頭のてっぺんに、火山みたいな三角錐のような髪型が出来やすいのでしょう♪

私の母親も当時は27歳で、黒柳徹子さんみたいな玉ねぎヘアが、時代を感じさせまちゅ。

この時は世間では大阪万博で盛り上がっていたでしょうし、私の母親の父親(母方祖父)は終戦後、大日本帝国海軍将校だったため、戦後は苦労したようですが、その後米子市内で建設会社を興して、その会社の昭和45年の社員旅行の行き先が、大阪万博だったみたいです。

2025年には、関西・大阪万博も開かれるようで、それまでにコロナはどうなっているか分からないだけに、大阪府の吉村知事がコロナの記者会見の時に着ている防災服には、エキスポのロゴも刷られていて、これにはマジ違和感を覚えます。

私も純子ちゃん、プルルン裕希、義父母と一緒に、愛知県日進市に住む義母の姉?妹?の家で一泊させて頂き、2005年の「愛・地球博」に行っているので、万博批判をする権利は、私にはないかも知れんっちゃぁ~(^o^)ノ!!!