金子みすゞ「みんな違ってみんないい」は民商の世界では認められない! 春が来たら思い出す「苦痛」だったこと!

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金子みすゞ「みんな違ってみんないい」は民商の世界では認められない! 春が来たら思い出す「苦痛」だったこと!

3月も中旬になって、日中の気温も高くなり、さすがにもう寒の戻りはないでしょう(o^_^o)v!!!

でも八尾民商時代、今の時期になれば憂鬱になる運動を強制的にさせられていたのでちゅ。

それは八尾市立の小中学校前で、卒業式や入学式の時に、日の丸掲揚や君が代斉唱についての疑問についてのビラ(本心は中止せよと言いたいのだろうが、そこまでの表現はせず、ギリギリまでやんわり書いたもの)を配布させられることをさせられていたのです。

これには八尾民商はもちろん、新日本婦人の会八尾支部、八尾柏原生活と健康を守る会、そして共産党系の労働組合である、全労連系の八尾市職員労働組合の組合員も、八尾市内の各小中学校前でビラまきを組織的にしていたわけです。

本来なら全労連系の全教(かつての日教組反主流派・・・主流派は連合に合流)がビラを撒きゃいいのに、さすがに教育現場前でそれはできないので、民商とか他の共産党とお友達の団体に押し付けている、それにはマジ腹が立つがぁ!

なお日の丸や君が代には、個人的な考えがあるのはもちろんで、私の思いは日の丸は江戸時代から幕府が「日本籍の船」を示す旗と示すもので、その後国旗として「儀礼的」に使われるようになり、平成何年かになってから、国旗国歌法が制定されて、これが初の根拠法になり、日の丸君が代が法的に認められたのですが、先の大戦では日の丸の元に多数の犠牲者も出たのは事実であり、これについては反省しないといけませんし、君が代については私の母方祖父が、大日本帝国海軍の将校だったため、生前「君が代を歌えない者は日本人ではない!」と話していて、私が鳥取市立美保小学校低学年の時、担任の先生が「君が代という日本の国歌は、千代にも八千代にも、日本の国が栄えることを祈った歌」と教えてくれて、逆に私がアカの道に誤って転落したら、全然違う訳の分からないことを聞かされて、しんぶん赤旗の読者投稿欄かなんかでは、「君が代ではなく『民が代』にしよう」といった、どうも理解しづらいのもありました。

マツケン共産党に盲従していたというイメージは強いものの、いま堅気になって冷静に自分自身を見つめ直してみたら、そうではなかったとこもあり、ホント自分自身のことでもよく分からないものです♪

前述のように海軍将校だった母方祖父の影響で、私は君が代をちゃんと歌うことができて、これって今思うと共産党用語で言えば、「右転落」「反動勢力」そのものですよ~。

ただし私には共産党が求める実現したい世界観よりも大切なのは、母方祖父の血が4分の1私の体内に流れていて、共産党の言うことを何でも「はいはい」と聞いていたら、自分自身のルーツの否定どころか、私自体が今すぐ死なないといけないことになってしまう、それが「赤旗思想」の凄さと怖さでちゅ

それと妙な意味で褒めてあげたいと思ったのは、マミヤンの元夫であるM田で、彼も極左思想の持主なんですけど、彼をスーパーはくと号に乗せて、鳥取市に連れて行った時、鳥取県全域をカバーする「日の丸自動車」というバス会社+その系列会社の「日の丸ハイヤー」のタクシーを見て、彼は「もろ露骨!、そんな会社のバスやタクシーには乗りたくない」と言い出して、そりゃ彼が後々共産党の八尾民商事務局支部支部長(今なら「共産党の世界」で、もっと出世しとってもおかしくない!)になるのも、当然の成り行きだで!

ちなみに日の丸ハイヤーさんのタクシー車体には、もちろん「日の丸」の絵が描かれていて、M田がケチをつけるのも分からんでもないが、私など鳥取県人から見たら、お馴染みのタクシー会社なので、地元の共産党員+支持者は乗りようがなくなります(笑)。

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君が代に出てくるさざれ石、私は岐阜市長良川沿いで、それを見たことがあります。

確かに小石が集まって大きい塊になり、苔も生えていますから、私も「これがさざれ石か」と感心して見てたし、そして場所は可児市が所属する岐阜県県都なんですから、やっぱり重みが違いまちゅ。

これまた八尾民商の元事務局員で、その後お隣の柏原民商の事務局長を務め、定年退職後古巣の八尾民商に嘱託で勤めだしたK村さんが、さざれ石に噛みつき「そんなもの、あるわけないだろ!」と、これまた共産党員の鏡である、優等生的なことを言われてました♪

日の丸よりも、君が代の由来は分からないとこも多いので、バリバリの共産主義者である、K村さんの肩を持つ気は全くないですが、私も学習をもう少しせんとイケンのかなぁと、ちょっと気になるところです(汗)。

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繰り返しになりますが、八尾市立小中学校前でのビラ配布、ホントえらかったです。

八尾小学校の校門前では、ビラを受け取った新一年生のお母さんが、それを見た瞬間、鋭い目で私を睨み返し、速攻で何も言わずに(文句を言われんだけでも良しとせんとイケン)突き返された時、彼女の顔には明らかに「この国賊非国民めが!」と書いていましたし、私も心に中では「オレだって好きでこんなビラ撒いとるんじゃないんだで!、不満があるなら共産党に抗議へ行ってごせぇや!」と言うのが、本心の叫びでした。

さらに来賓として入学式に招かれたいた、自民党の八尾市議会議員も、「そのビラをちょうだい」と話しかけてきたので、その議員も何が書いてあるのか、興味津々だったのでしょう。

私が2006年6月に八尾民商の事務局長に就任した時、「やれやれ、これであの面倒なビラ配布から解放される」と、3秒だけ喜んだのに、よく考えたら八尾市内の共産党系「民主団体御三家」で一番でかい八尾民商は、どのような運動でも先頭に立たんとイケンことに気づき、私の顔はすぐに蒼白化したのでちゅ。

でも民主主義の神様は私に味方して下さり、八尾民商内では婦人部が日の丸君が代ビラ配布の中心を担ってましたが、会員の高齢化で人も集まらなくなり、他団体も同じくで、鬱陶しい嫌な運動もついに立ち消えになって、私も心の中で「やったっ~!!!」と万歳三唱して叫びましたよ~。

私も民商の世界から足を洗って7年2か月となり、共産党系のいわゆる「民主団体」の運動も先細り→絶滅になってきているのは間違いなしです。

ただし八尾民商の事務局員は、私が事務局長時代は堅気と同じ世間話をできたという、一般的な「緩さ」があったのに、今の事務局長であるG給君はガチガチの共産党主流、いやそれどころかさらに左の極左冒険主義(これは言い過ぎか)なとこもあり、共産党右派だった私とは意見が合わないとこが多く、そりゃ私が事務局長時代に三役(私もその一人でしたけど)連中とケンカして、八尾民商から離れて都島民商に半年いて、そして民商の世界から足を洗い、今は国家資格である介護福祉士として活躍しているのに、古巣の民商の脳みそは梗塞状態で、もう蘇るチャンスはないでしょう♪

名詩人で若くして逝去した、金子みすゞ先生の名言「みんな違ってみんないい」、この言葉は全国の民商の事務局員、もちろん共産党員に聞かせて読ませてあげたいのに、一部の抵抗勢力は画一的な運動ばっかりして硬直化している、やっぱり民商はもちろん共産党では「出る杭は打たれる」だけに、逆に「出過ぎる杭」になって、内部改革をして欲しいけど、期待薄なのは民商+民青・共産党OB(まあそんなものになりたくないけど)として、ちょっと痛いと言うか、辛いと言うか、何とも表現しがたいことだっちゃぁ~(^o^)ノ!!!