私の人生を再確認?可児市大散歩!

 

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*私の人生を再確認?可児市大散歩!

花フェスタ記念公園から、さつきバスに乗って、可児駅名鉄新可児駅+JR可児駅)まで戻り、新可児駅から名鉄電車で、そこから犬山駅寄り2つ目の可児川駅まで移動しました。

それにしても可児川駅の駅舎は、駅舎の看板と自動改札機が導入された以外は、全然変わりがないです(o^_^o)v!!!

私も可児市に住んでいた時は、可児川駅が一応最寄り駅だったのですが、どう考えても隣の日本ライン今渡駅との中間点に、寮が位置していたので、その近くに駅を造って欲しかったです。

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可児川駅前にある、可児とうのう病院です。

私が可児市に住んでいた時は、岐阜社会保険病院という名前で、私も風邪を引いた時に、受診に行ったことがあります。

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可児市は人口が10万人の小都市ですが大きい工場が結構あります。

上の写真は大王製紙の工場で、かつては名古屋パルプという名前でした。この工場は可児市に住んでいた時の寮からも、見えていました。

それにしても可児市は、昭和50年代に人口増大爆発で、同57年(1982年)に、可児郡可児町から可児市になり、その後も人口増加を続け、一度は人口が減って10万人台を切ったものの、今年の1月には再び10万人の大台に乗っていますよ~。

町の中心部を見る限りでは、人口では半分しかいない、鳥取県倉吉市の方が「都会度」は高い気がしますが、やっぱり視覚だけでは判断できないことが多いいです。

その倉吉市と身近なブログ友のo-uiri様に情報なんですが、可児市岡山県津山市は、提携都市関係とのことです♪

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可児市の公共看板には、ポルトガル語も併記されています。

可児市は東海地方では、静岡県浜松市と並んで、ブラジル人が多い町で、道を歩いていたり、お店に入ったりしたら、ポルトガル語をよく耳にします。

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私が住んでいた寮の近くにある、グリーンキャッスルビルです。

ここにあの「可児(蟹)の唐揚げ」(ワタリガニの唐揚げ)を提供していた、居酒屋「太閤」さんが入居していて、私は日勤時は夕食後、毎日のように通っていたのですよ~。

勤務先であるKYB(当時はカヤバ工業)の部長さんに連れられて、同ビルに入居していた「木綿」さんという、部長行きつけのスナックに行ったこともありまちゅ。

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この建物が、私が働いていた、KYBの「車載機器センター」なんですが、今はどんな部署なのかは不明です。

私は日勤時の土曜日は、別の部署で働いてました。

仕事内容は、車載機器センターでは、当時日産の最高級車だった、インフィニティQ45の油圧アクティブサスペンションを造る仕事(NC旋盤機の操作)をしていて、日勤時の土曜出勤の時は、どこかの自動車メーカーの四輪駆動車の部品を作ってました。

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KYB株式会社岐阜北工場の南門です。

私が働いていた時は、カヤバ工業株式会社岐阜北事業所という名称でした。

なお可児川駅の裏手には、岐阜南工場(かつてならカヤバ工業岐阜南事業所)もあり、まさにでかい工場がKYB2工場だけでなく、大王製紙まであるのですから、第二次産業の比率は、可児市としては大きいはずですよ~。

なお、夜勤が終わった後は、工場内にある大浴場に浸かって、NC旋盤機が発する、切削油を浴びた体をキレイ綺麗に洗うのが、私の楽しみだったのでちゅ。

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KYBの独身寮である、さくらくらぶです。

もちろん建物は新築されていて、私が住んでいた寮は「東山寮」(とうざんりょう)という名前でした。

ちなみに東山の由来は、住所が「可児市土田(どた)小字東山(とうざん)」というわけです。

それにしてもKYB、現在の独身寮の名前には他にも「いちいくらぶ」「さつきくらぶ」とか、花の名前を付けたがりまちゅ。

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さらにてくてく歩いて行ったら、木曽川まで来て、そこに架橋されている太田橋です。

トラス橋も年季が入っていて、機能美を感じます♪

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太田橋から見た木曽川上流です。

右側は可児市で、左側は美濃加茂市になります。

有名な日本ライン川下り乗り場も、ここから近いです。

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ブログ友のSPYBOY様からもリクエストがあった?、ヤイリギターさんの本社です。

アコースティックギターの日本における大家で、海外ならポール・マッカートニーさんなど、日本なら長渕剛さんや桑田佳祐さん、矢井田瞳ちゃんなど、名だたるアーチストがヤイリギターさんのものを、使っているのですよ~。

本社はどちらかと言えば、ちょっと大き目な町工場といった感じです。

アコースティックギターだけでなく、創業時の主力製品だった、大正琴も作っているようです。

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やっと名鉄日本ライン今渡駅に着きました。

可児川駅から日本ライン今渡駅までは、線路なら2500メートルなんですが、今回の「大散歩」の場合は、寄り道もしまくってますので、少なく見ても4キロは歩いているでしょう♪

それにしても隣の駅まで2.5キロ、ちょっと遠いでちゅ。

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夕食はホテル近くの鶏料理店「絶好鶏」(ぜっこうちょう)さんで、水炊きを食べたのですが、普通の水炊きがなくって、辛口味のものしかなかったのです。

私も最初は気にしていなかったものの、想像していた福岡博多のものとは全然別物で、単なるキムチ鍋と変わらなかったですし、肉も美味くなかったですよ~。

まあ岐阜県可児市に来てまで、九州の雄都である福岡市的なものを求めるのが、間違っているのかも知れません。

ちなみに可児市サトイモが名物みたいです♪

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ただ鶏肉もすべての部位が美味しくなかったわけではなく、このようにローストチキン並みのものを水炊きにしたのもあり、さすがにこれは福岡博多の本場水炊きにもなかったです。

まあ確かに食べ応えだけはあったでちゅ。

残念ながら夕食はハズレでしたが、接客してくれた若い女性が気の利く方だったので、それで良しとしませう!

それにしても可児市は本当にいい町で、当時20歳だった私も、この町に住んで、KYBから手取り35万円の給料を貰い(バブル絶好調の時期だったので、30年後の今なら50万円の価値はあり?)、後の近畿大学短期大学部進学や、腹は立ちますが八尾民商への転職→事務局長に就任、そこをケンカ別れして、今では国家資格の介護福祉士なんですが、間違いなく可児市は私の人生において、かなりの影響を与えた町ですよ~。

もし私が鳥取市(県)しか知らない、鳥取市+八尾市しか知らない、これらではどう考えてもつまらない人生だったはずでちゅ。

可児市が「東海地方」という文化を私に注入してくれたのは、メッチャ大きかったですし、鳥取県庁勤務の若き頃の私の父親の上司が、なんと岐阜県知事までになられた梶原拓さん(中央省庁から天下りで、鳥取県の部長職?)だったので、岐阜県との縁は本当に不思議で、可児市は小さい町ですが、私からすれば、鳥取市に次ぐ都市格を与えるのは、至極当然だっちゃぁ~(^o^)ノ!!!