故郷「鳥取市古市」♪


故郷「鳥取市古市」♪
ここはJR鳥取駅から歩いて10数分(駅から南西方向)にある我が故郷「鳥取市古市(ふるいち)」です! 
これは町の入り口にある「お地蔵さん」で、盆過ぎには八尾市と似たような「地蔵盆」みたいな行事もあります。

右手の「長坂・・・」と看板があるところに、私が育った家がありました。2階建てで部屋数は5部屋+台所+食堂、そして風呂とトイレでした。
結構古い家で、押入れ内部の壁紙から「大阪読売新聞」と書かれた古い新聞が出てきた時は驚愕そのものでした。小中学校の友人からは「マツケンの家は忍者屋敷だっちゃ!」とも言われていました。
8月にある千代川(鳥取砂丘に砂を運んだ大河)市民スポーツ広場の花火大会も家の2階から良く見え、姉と一緒に鑑賞したのも幼少時代の大切な思い出です(涙)。
私は1969年(昭和44年)12月5日(金)10時35分に、鳥取市立病院(現在ははジャスコの駐車場)で生まれました。市立病院も今は的場(まとば)に移転しとるけど。
余談ですが私の配偶者は八尾市立病院で生まれています。夫婦そろって市立病院生まれも凄いのでは?(笑)。もっとも八尾市立病院も老朽化のため、八尾市の太子堂からJR久宝寺駅の南に移転しています。

住んでいた家の前に立っている見事なシュロの樹です。小さい時はこの樹にナシの実が成ると思っていました。古市町内にはもう一つシュロの樹があります。
場所は忘れましたが、バナナの樹もありました。古市は熱帯気候に属するのだろうか?(爆)

家があったところの北隣にある「古市作業場」です。ここで農業作業、つまり脱穀などを行っていました。今でこそ田んぼも激減の古市ですが、昔は本当に田んぼばっかりでした。昔は鳥取駅の南側は開発が進んでいなかったので(汗)。
なお家族でお出かけ(外食など)した時、タクシーで親が「古市の作業場まで」と目的地を行ったら、ちゃんと家まで着きました。
冬になったら石焼き芋も車で販売に来とったし、思い出深いのは、屋台のラーメン(車ですが)がきたことがあり(私が小学校低学年の時?)、家の前で姉たちと食べたことがあります。
この経験のおかげか、近鉄八尾駅やJR八尾駅付近に冬場になったら出現する屋台のラーメン(こちらは本当の人力屋台)をたまに食べます!

古市の中心部である公民館付近です。真ん中の立派な門構えの家付近(今は知らないが、古市の区長)で、幼稚園時代、送迎バスを待っていました。公民館はさすがに新しくなっています。

田んぼもすっかり減った古市町内ですが、残り少ない田んぼの中に、何故かお墓があります。小さい時からこれは謎でしたが、未だに理由は不明です(笑)。

鳥取駅南を流れる袋川に架かる古市橋より、鳥取市街中心部を望みます。
古市橋も私が幼稚園の時は木の橋で、車は当然通行不能でした。小学校2年か3年の時にこのような二車線の立派な橋に変わりました。