浪人・・・ブログ再改題

*浪人・・・ブログ再改題
皆様も気づいているかも知れませんが、ブログの題名から「都島」が消えました。
結局大阪市都島区の話題は1回も出さずに、わずか6か月余りで消滅したわけです(>_<)。
その理由は昨年7月から異動した、都島区の事務所をとりあえず「休職」したのが理由です(*^^;)。
私は26歳の時に全国区の中小企業団体の八尾市事務所に転職して、9年後には事務局次長、その翌年には事務局長と出世していきましたが、平成24年(2012年)11月に抑うつ状態になって5か月間休職、翌年平成25年(2013年)4月から復職したものの、平成26年1月(2014年)には、またまた体調不振になってしまったのです。
そしてその結果が「事務局長解任」+「他の事務所への異動」でした。
新天地である都島区の事務所では頑張ったものの、どうも私と水が合わなくて、今年早々に心療内科に行って「抑うつ状態のため3か月の休養が必要」と、医師に診断書を書いてもらいました。
なおこの診断書も建前上のものですが・・・。
普通の会社なら他の異動先をすんなりと決めてもらえるでしょうが、私が勤めている(た)中小企業団体は、全国組織でありながら、それぞれの事務所が独立採算制であり、現在は人出余りで異動も簡単ではないのですよ〜。
とりあえず1月6日の出勤を最後に、私は都島区の事務所への出勤をやめて、「浪人」となりました♪
大阪の本部には他の事務所への再異動をお願いしてますが、これもいつの日になるか分かりませんので、職安に行って失業保険受給の手続きもして、とりあえず退職金の請求もして、毎日ゴロゴロとした生活をしていまちゅ。
私も他の事務所に再異動できて、そこの水と会えばいいのですが、異動できないことも考えて、1月23日から介護職員初任者研修の資格を取るために、学校に通うことにしました(o^_^o)v!!!
1か月半の速習コースを選択しましたが、まったくの未知の世界だけに不安は多少ありますよ〜。
私は雇用保険を20何年もかけていて、年齢も45歳で、都島区の事務所としては、結局「木村一」同民商事務局長の陰謀で「事業主都合」での退職になったので、最大11か月は失業保険をもらうことができます。
私としては「今まで勤めてきた中小企業団体の異動先が見つかったら、そこに行こうか」「いや、もう過去はきれいさっぱり切り捨てて、介護の世界で生きていくべき」と、心が分かれています。
前にも書きましたが、鳥取での就職を配偶者の純子ちゃんは勧めてますが、この場合純子ちゃんとプルルン裕希と別れて生活せんとイケンわけです(汗)。
「単身赴任」したからと言って、楽しいもんではないだけに(笑)。
私も年齢が45歳だけに、介護職員初任者研修の資格を取っても、絶対に仕事があるとは限らないので、その場合は「主夫」になって働く純子ちゃんを支える立場になってもいいかなぁ〜とも思うっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
でもその場合は鳥取市の家を処分せんとイケンようになるのは、火を見るよりも明らかです(>_<)。
まあ60歳になってから、鳥取市内で古民家を買ってもいいのですが(*^^;)。
それにしても人生とは分からないものです。
八尾市事務所にいた時は事務局長として権勢を振るい、そこそこの高給をもらっていて、高級車を乗り回して休みの日には旅行にも行って、2年に一度はドイツを訪問、今思うと夢みたいな生活を送っていました♪
それが今では(八尾市事務所時代の)退職金+これから受給される失業保険での生活だけに、ホント地獄に突き落とされた心境でちゅ。
でも何が起こるか分からないのが人生!
他所の事務所に異動できるか、介護の世界に行くか不明ですが、60歳になるまであと14年しかないだけに、よく考えたらそんなに深刻に考えなくてもいいかも知れません(o^_^o)v!!!
介護職は重労働で賃金も安く、八尾市事務所事務局長時代のように贅沢はできないのは明らかです。
でも高齢化社会を迎える日本にとっては、将来性は十分にある仕事だと思いますよ〜。
なお1月24日(土)には、大阪難波で「住む×働く×鳥取県移住フェア」が開かれますが、こちらにも行ってみて鳥取での第一次産業や介護職への就労の相談もしてみます。
「浪人」生活中の私は心が揺れ動いていますが、なんとか自分に合った仕事(中小企業団体の再異動も含めて)があることを、自ら心に祈っとるっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!