因幡万葉の里を訪問♪(その1)


因幡万葉の里を訪問♪(その1)
クロスバイクポタリングしながら、鳥取市の家からほど近い、鳥取市国府町(旧岩美郡国府町)に行ってきました。
近いとは言っても、鳥取市津ノ井〜鳥取市国府町三代寺の間には、峠道があって、ここを通らないといけないのでちゅ。

やっと峠の上に着きました。
私のクロスバイクは27段変速ですので、急坂でも楽々登れます(o^_^o)v!!!

三代寺地域から、鳥取市街地の方を望みます。
中央に見える山は私も以前登ったことがある、因幡三山の一つである面影山です♪

里の中にポツンとそびえる今木山です。
これも因幡三山の一つで、高さは88.9メートルで、登るのは簡単でしょうが、確かこの山は個人の所有ですので、一声かける必要があるみたいでちゅ。

今木山の麓には、日常上人の産湯の井戸があります。
日常上人は、日蓮を助けて、全国布教活動の総代を勤めた人とのことです。
日蓮が亡くなった後は、下総国(現千葉県)の正中山法華経寺の住職になったみたいで、こう見たら私、というか鳥取県って千葉県(ナシの生産でもライバル同士ですし)と本当に縁があるっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

このような石碑や五輪塔も残ってますが、ここには法華寺国分尼寺)の礎石があったみたいです。
日常上人の産湯の井戸もそうですが、因幡三山の一つである今木山の麓に、このような歴史的なものがあれば、本当にロマンを感じますよ〜。

犬塚、「0.2秒でイヌを美味いか不味いか見分ける特殊能力」を持った私にとっては、堪らないとこです(o^_^o)v!!!

犬塚の石碑が市営住宅の前にポツンとあります。
犬塚の由来ですが、「奈良時代因幡時代の国分寺国分尼寺両寺に、どちらにともなく飼われていた一匹の犬がいて、朝晩の食事どきに鳴らす鐘の早い方に行っては残りものの飯を食べていた。ある時、両寺の坊さんと尼さんが示し合わせて同時に鐘を鳴らしたところ、犬は国分寺に行こうか、尼寺に行こうか迷って、ついに両寺の中間で倒れて死んでしまった。哀れに思った坊さんや尼さんたちは、塚を造って犬を葬ってやったそうである。その後、塚は荒れて弔う人もなくなってしまった。江戸時代になって法華寺大庄屋福田彦左衛門が再び塚を造り。『犬塚』という石碑を建てて供養したということである」ということです♪

これは昨年大阪毎日放送MBS)の昼の情報場組「ちちんぷいぷい」でも紹介された、在原行平歌碑です。
中納言在原行平因幡国司に任じられ、因幡国に行く途中、須磨の浦(現在の神戸市須磨区)で汐汲みをしていた松風、村雨の姉妹に会い、2人を因幡国に連れてきて、4年後行平が京の都に帰る時に歌った惜別の歌が、歌碑に刻まれているわけです。
でも行平は京に帰って、須磨の浦から連れてこられた松風、村雨姉妹は因幡国で客死、なんか悲しいでちゅ。

在原行平歌碑の向かいには、大伴家持歌碑をはじめとした、万葉の歌碑が並んでいます。
次回はこれらをアップする予定だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!