セクハラ民商列島!マツケンの恥部und黒歴史!

*セクハラ民商列島!マツケンの恥部und黒歴史

八尾市陽光園2丁目1-2にある、八尾民商会館です。

ここはさまざまな謀略や違法行為、そして裏切りが渦巻いている、とんでもないとこなんで、ご近所さんもいい迷惑でちゅ。

まさに悪、いや「アカの巣窟」です(o^_^o)v!!!

私もここで18年3か月勤めて、うち事務局次長は8か月、事務局長代理は5か月、そして事務局長を8年していたのですから、八尾民商の裏の裏まで知り尽くしていますよ~。

なおこの八尾民商会館、昭和30年代中盤にブラシ会社が建てたものらしく、それを八尾民商が昭和47年(1972年)に買い取って、元々2階建てだったものを、建て増しして3階建てにしたと聞きますが、中に入ったらそのようなことは微塵も感じないのが不思議です。

今なら違法建築になりそうですけど、50年前は問題なしだったのでしょうか?

八尾民商会館の裏側です。

ここではかつて、一流半大学卒業のT岡さん(私より24学年年上なので、現在77歳)が事務局員時代に、当時八尾民商に入局してさほど月日が経っていない、M元M美子ことマミヤン(なお私はマミヤンと同日入局です)の胸を、実力行使で触ろうとしたのですよ~。

もちろんマミヤンは速攻でT岡さんの手を払いのけましたが、見事に触られていたら「その場は地獄になっていただろう」と、えらく怒り心頭でした。

それが私に妙なメッセージを植え付けてしまい、当時26歳の私は「T岡さんみたいに一流半の大学を卒業していたら、(マミヤンの)胸を触ろうとしても許されるんだ」と、今思うと無茶なことを考えてしまったのです。

いくら若いとは言っても、限度はありますよね♪

そして私が見てはいけないものとしては、私が仕事中何気なくマミヤンの背中を見たら、彼女のビュステンハルテァー・シュヴァルツリニエが目に入ってしまい、おまけにそのアイゼンの盛り上がりというおまけ付きで、私はドキッとするのを通り越して、頭の中の配線とネジが音を立てて崩壊してしまい、そこからマミヤンの尻を追いかける、まさにマツケンの恥部und黒歴史の始まりなんでちゅ。

それからはマミヤンが頻繁に夢の中に出てきて、その内容はとてもここで活字にできるものではなく、その話をM田(当時彼はマミヤンをけなしまくっていました)にしたら、「それはマツケン君(実際は本名)の願望ですよ~」と言われ、ホント私が堕落化けしていくのが、自分自身で実感できたのです。

そして2002年、東大阪市長選挙の応援で、先輩のS木F恵さん(のちに部下)と一緒に、東大阪東部民商の会員宅を訪問して、「現職(共産党員の)である長尾淳三をよろしくお願いしまう」とあいさつ回り+投票の訴えをしていて、東大阪市内の路上を歩いていた時、何を血迷ったのか私は、あのS木さんに対して、マミヤンに対する「不適切発言」をしてしまい、私はついに破滅を迎えたのですよ~。

それにしても私が「不適切発言」をしたのは、本当に不思議で、私のこの恥部+黒歴史について、7年前である2015年に我がブログでアップしたら、女性ブログ友である白魔女様やhimekagura様から、お叱りのコメントを受けましたが、これは当然のことでちゅ。

私が「不適切発言」をした当時は、もう純子ちゃんと結婚して3年経っていて、プルルン裕希も1歳になる年だったので、私も純子ちゃんという配偶者がいながら、いくら魅力的な女性とは言え、マミヤンのバストにうつつを抜かすとは、どうかしていましたよ~。

私の「不適切発言」については、マミヤンは「ガハハハハハ~!」と豪快に笑い飛ばし、全然気にしていなかったのは、せめてもの救いでした。

なおマミヤンもT岡さんと同じく、誤ったメッセージを私に流していて、彼女の私に対する評価は「マツケン君(実際は本名)のことは、嫌いじゃないけど、恋愛の対象ではない」と、私は「マミヤンはオレのことを嫌っとらんかっただぁ~!」と、これまた妙に前向きな受け止め方をしてしまい、さらに話がややこしくなったのでしょう。

もちろん私もマミヤンに対する「不適切発言」で、大いに叱りを受けていますから、その後は一切メチャクチャなことは言っていませんし、頭の中でも考えていません♪

なおセクハラなんですが、なぜかマミヤンばっかりが「被害者」になっていて、他民商の事務局長とかが、八尾民商で会議がある時に、決まってマミヤンに対するからかいを通り越して、下品な言葉で始末する、なぜそれがまかり通るのかは本当に不思議で、八尾民商の常任理事・支部長まで勤めたS川(贈答品販売業)なんかは、マミヤンではないものの、当時自分の支部を担当していた、女性事務局員のN村K代子さん(なんと!純子ちゃんと小中学校が同じで、1学年上の先輩!)のお尻を触り、これまたS木さんから烈火の如く怒られたらしいので、民商というか、八尾民商はセクハラが平気でまかり通る、それをまた肯定する土壌があり、ある会員なんか「女の事務局員はワシの娘、孫娘みたいなものだから、ついセクハラもする、それのどこが悪い?、ワハハハ~!」と平気で豪語するのですから、八尾民商の程度はこんなもんで、私も「不適切発言」をした当事者なので、偉そうには全然言えないけど、八尾市が鳥取市可児市より格下の「2級都市」の扱いになるのも、至極当然かも知れないでちゅ。

話は変わりますが、八尾民商の宣伝カーです。

私が26年前に八尾民商に来た時から数えて、4台目の宣伝カーで、これは初の軽自動車なんです。

それまではでかい5ナンバー枠ギリギリの、でかい宣伝カーばっかり購入(というよりかは、役員からのお下がり)していて、5ナンバー車でも定員は8人ですから、宣伝行動で移動する時、それだけの人数を移送できるのは、確かに能率はいいものの、狭い道が多い八尾市内を移動するには、使い勝手が悪かったのも事実です。

私が事務局長の時に、経済面と財政のことを考えて、やっと軽自動車の宣伝カーになりましたが、抵抗勢力も一人だけいたのでちゅ。

それは私の前任者だったM川さんで、この方が事務局長時代は、何がなんでも「八尾民商は『日本一』でないとアカン!」という考えで、宣伝カーも安っぽい軽自動車を否定していて、私も「お金もないのに、税金が安い軽自動車で、何でイケンだか?、そこまで『日本一』にこだわる理由がよう分からんっちゃぁ」と、冷ややかな目で見ていました。

今の日本は貧しい国になり、その理由には民商のような原始的組織が、今でも何とか命脈を保っているのが問題で、これについてはまたの機会にお話ししたいです♪

八尾市は大阪ナンバーの最南端地域で、お隣の柏原市藤井寺市松原市は「和泉」ナンバーになります。

それにしても柏原市藤井寺市、そして松原市旧国名は「河内」なのに、なんで和泉ナンバーになるのか、これは私も大阪人ではないので、全く分からないでちゅ。

今回は20年前に私が犯した「不適切発言」について、2015年に我がブログで告白したのも加味して令和の時代に改めて復習して、何やかんや言っても、自分自身は反省という再学習機能は復活しているようで、これからは二度と過ちは犯さないように、気を付けんとイケンし、「セクハラ民商列島」の今がどうなっとるだか、えらい興味が津々だっちゃぁ~(^o^)ノ!!!