八尾市の外れ「竹渕」に行って来ました♪

*八尾市の外れ「竹渕」に行って来ました♪

今日日曜日はお休みだったので、八尾市内で唯一市外局番が「「06」である、竹渕(たけふち)地域に行きましたよ~。

それにしても八尾市光南町の高級賃貸マンションから、電動アシスト自転車で行っても、遠い!

ここは国道25号線と中央環状線大阪府道2号線)、そして中環上を通っている近畿自動車道が交差する、亀井交差点です

普通なら中環より向こうは大阪市平野区なのに、ちょっと東の細い道にに入ったら、まだまだ八尾市の竹渕地域なんです。

八尾警察署の交番もあります。

交番名は「亀井」になってますけど、中間を西に渡っても、この辺はまだ同じく八尾市の亀井地域なんでちゅ。

竹渕地域を流れる平野川大阪市平野区が語源?)が流れています。

春先にはカメさんが甲羅干しをしている光景を、見ることができますよ♪

今でこそ「たけふち」という地名になってますが、かつては漢字表記が「竹淵」であり、これを「たこち」と呼んでいたのです。

なお私が1996年に八尾民商に入局した時、最初に担当したのがここ竹渕地域で、当時はすでに正式呼称は「たけふち」になってましたけど、地元民は「たこち」と呼んでましたので、私もそれに右に倣えでした。

八尾市立竹渕小学校です。

なお中学校は中間を渡って、西隣の亀井地区にある、亀井中学校に通うことになります。

竹渕地域にはいくつかの飲食店もあり、うどん屋さんの壱都吉さんと、その右隣には洋食屋である西洋亭があります。

なお両方とも八尾民商の会員なんです。

私も壱都吉さんで確かカレーうどんを食べたような気はして、味は確かでした。

ここのマスター、娘さんが5人もいて、「男が生まれるまで頑張ったのが、失敗だった」と言われていて、さすがに私も笑いましたよ~。

また壱都吉さんでは、うどんだけでなく、四柱推命もやっていて、これも結構儲かっているような?

かつての貨物線だった、阪和貨物線の遺構です。

ガード橋脚も架線も撤去されて、ホント寂しくなりました。

阪和貨物線は一応JR八尾駅から分岐して、JR阪和線の杉本町に至る路線で、昔は「特急あすか」という、キハ82系ディーゼルカーを使用したのが、名古屋駅から関西本線国鉄奈良駅を経由して、東和歌山駅(今の和歌山市駅だったっけ?)を結ぶ特急列車だったのに、さすがに大阪の南のターミナル駅である、天王寺駅を通らないので、お客はあんまりいなく、運行も短命に終わったとのことでちゅ。

アジサイがもう咲いていました。

ここはまだ八尾市の竹渕地域なのに、ゴルフの打ちっぱなし練習所の名前は、「東平野ゴルフセンター」でした。

八尾市の外れである竹渕地区だけに、オンデマンドタクシーがあります。

前述の通り「たこち」は「竹淵」=かつての呼び名であり、今でもそれが生きているわけです♪

一時期近鉄八尾駅と竹渕駅を結ぶ、コミュニティーバス「愛あいバス」というのも走っていたのに、廃止にされてしまったのでちゅ。

郵便局は全国的に小学校校区単位に対して1つはあるので、ホント便利です。

私が八尾民商時代竹渕地域を担当していた時は、とにかく工場が多くって、油の香りが漂ってました。

上の写真は古い工場が連なって建ってますけど、1階は工場部分で2階は居住区であり、高度成長時代なら昼は1階の工場で働いて、夜は2階の家で休む、そういう生活だったみたいでちゅ。

でも工場主もお金が貯まれば、他所で一戸建てを買って、そこから工場まで通勤するようになしました。

昼食は京都に本店がある、ラーメン横綱さんで摂りました。

ラーメンに九条ネギをどばぁ~と乗せて食べる、これがまた快感んなんだがぁ~。

この後白ご飯も注文しましたけど、半チャーハンがないのが痛くって、そう言えば私が行くラーメン屋では「チャーハン自体がない」。非国民にも等しいとこもあるので、ホント参りまちゅ。

八尾市の竹渕地域も八尾民商を退職してからほとんど行ってなかったので、久しぶりに再訪したら町工場の多くは潰され、代わりに戸建ての家やマンションが建っている、日本の産業構造がどれだけ変わってしまっているか、なんか思い知らされた感じだっちゃぁ~(^o^)ノ!!!