久松山と鳥取城跡


*久松山と鳥取城跡
9月19日(日)は自転車でさらに鳥取旧市街地に足を伸ばしました。西町から見える久松山(きゅうしょうざん)です。ここには鳥取城跡の遺構が残っています。
なお右側に立っている看板の家は、大阪府寝屋川市から鳥取市へ移住して、市会議員になった女性の家です。大阪から鳥取市へ移って郷土のために頑張る心意気は大いに評価できます。

久松公園に到着後は、この門から二の丸・三の丸・久松山山頂に向かいます。今回は山頂には行かんかったけど(笑)。

三階櫓跡から見る鳥取市街です! 左手には鳥取県庁や鳥取市役所、日赤病院、県民文化会館などがあり、まさに鳥取県の中枢と言えます。
ここは桜の名所で、小さい時は家族で花見に行きました。子ども時代以来まったく久松公園鳥取城跡かいわいで花見をすることがないので、来年ぐらい行ってみたいものです。桜の季節以外では、ビールを買って、ここで鳥取の景色を見ながら飲酒することもあります(爆)。
それにしても鳥取市も高層ビル(大半はマンション)が増えました!

眼下には「仁風閣」が見えます。大正天皇鳥取訪問時、宿舎にされたところです。
大阪人の同僚が初めて仁風閣を見た時、「洋館、洋館」と呼んでいました(実際そうだけど)。裏には茶所もあります。

順序が入れ替わりましたが、下から二の丸などに向かうには、この急な石階段を登る必要があります!

見事な石垣です。松江城のような平城とは違う、山城の荒々しさも良いものです。もちろん石垣は再築ではありません(部分的に現代に修理されたところもありますが)。

お堀から見た久松山と仁風閣です! 仁風閣の上方にある石垣が、さっきまで登っていた三階櫓です。鳥取城は山名氏以来の城だったと思いますが、「豊臣秀吉鳥取城攻め」は有名です。
篭城作戦を取った吉川経家も、飢えた家来を救うために切腹して、鳥取城は秀吉側に引き渡されました。江戸時代は池田家32万石の城下町として栄えました♪

鳥取市も10月に「三十二万石祭り」を行いますが、まだ私は行ったことがありません(汗)! 
鳥取城を復元という話は大昔からあったものの、なかなか具体化されていません。二の丸や三の丸の写真(幕末〜明治初期)の写真や絵はあるものの、山頂にあった天守閣(江戸期に焼失している)の絵は現存していないので、どのような形だったのか不明とのことです。