千倉の大海女「田仲のよ」さん♪

*千倉の大海女「田仲のよ」さん♪
私が勤めている中小企業団体は全国組織で、全国で20万人強の中小企業が加盟しています♪
本部は東京の目白で、週に1回全8ページの「機関紙」も発行しています。
この機関紙の最終面(8ページ)に、「海辺への招待状 房総のうみ・ひと・さかな」という連載が載っています。
第7回と8回目は「(千葉県)千倉町白間津の大海女 田仲のよさん」のことが記事として書かれてますので、ちょと紹介します♪
千葉県の千倉町(現南房総市)と言えば、私が今年の6月下旬に訪問したとこでございます!
ここでブログ友で、「海の天使」であるDMS8様と、彼女の親友R様とお会いしたのは、記憶に新しいとこだっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
さて田仲さんは、地元でも有名な「大海女」で、自称「おらは、百姓海女だよ」とのこと。
田仲さんは3冊の本を出していて、「私はイワシの予報官(草思社)」「磯笛の村から 房総海女のくらしの民族誌現代書館)」「海女小屋日記(新宿書房)」と発刊されていますが、最新の3冊目「海女小屋日記」も平成3年(1991年)の出版ですので、絶版になっているでしょう。
田仲さんはきっぷの良さで、大海女の風格に満ち溢れていて、観光客にも笑顔を絶やさず親切で、すっかり人気者になった田仲さんは、大盤振る舞いでお客さんに対して、お花を売っていたとか!
彼女の流儀は「経済的に豊かになるよりも、海・花づくり・花売りと、年がら年中忙しく働き続けること」だったとか♪
いやぁ〜、ほんに恰好ええ田仲のよオバチャンでちゅ(o^_^o)v!!!
田仲さんも娘さんが東京から帰郷したのを機会に、「千倉あま連絡協議会」を抜けて、「これからはのんびり海に潜るよ」と、半分隠居の生活に入られました。
「千倉の人気者」になっていた田仲さんのもとには、相変わらずマスコミの取材依頼が多く来ていて、テレビ朝日徹子の部屋」、NHKラジオ「日曜談話室」などに出演されています♪
「海女先生」ということで、300人の中学生や教師を前に、海女人生について語ったり、田仲さんの活躍で、千倉町白間津の花畑は、彼女に会いたいという観光客がたくさん訪問して、地元産業や経済に対しの、田仲さんの貢献度は凄いとも書かれています。
田仲さんも最後は千葉県館山市の病院で過ごしていて、病室の中でも一番の人気者だったとか!
でもこの機関紙に連載記事を書いている先生が、病院を訪問した時、田仲さんがいなかったので、看護師さんに聞いたら「千倉に帰りました」とのこと。
つまり平成8年(1996年)9月7日に、享年74歳で亡くなられました。
以上の大半の文章は、機関紙からの引用ですが、今朝職場の朝礼で、第8回目の連載記事を私が読み上げました。
読んでいて、田仲さんの人柄や功績について、メッチャ凄い方だったんだなぁ〜と、改めて驚きました!
私が実際に訪問した「千倉」「館山」という町が、田仲さんを身近に感じさせる理由にもなっているんでしょう。
DMS8様のブログにも、この田仲さんのことをコメントしたら、DMS8様も「のよサンが話題になるなんて♪」と、喜んでくれました(o^_^o)v!!!
いやぁ〜、本当に世の中は広いようで狭いっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
南房総は海女さんが多く、彼女たちが獲った魚介類は大事な生活の糧、そして大きな観光資源だけに、「大海女田仲のよ様」の意思をしっかり引き継いで、南房総だけでなく、三方を海に囲まれた千葉県が、さらに発展するように私も祈っていますよ〜!
3か月前に私が訪れた南房総の町に、田仲さんのような凄い大海女様がおって、それでブログ友との交流もさらに深まるとは、私が勤める中小企業団体も、ほんに顔が広いでちゅ♪
私も田仲様のように、ふるさと(鳥取県)を愛し、地域に貢献できる素晴らしい人間にならんとイケン!と、改めて思った次第でございます(^o^)ノ!!!