山陰の大都会鳥取市! やっぱり私はこの町が大好きだっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!


*山陰の大都会鳥取市! やっぱり私はこの町が大好きだっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
私は一か月のうち3割は、我が誇るべき郷土である鳥取市に帰っています♪
1月中旬から3月中旬までは、仕事が忙しいので、この期間だけは帰る日が減りますが(*^^;)。
上の写真はトスク本店(旧・鳥取生活センター)の4階遊戯場に置かれている、クレーンゲームです。
LINEのキャラクターであるウサギちゃん、私これって大好きなんですよ〜。
私はウサギとリスが好きなので、名古屋名物の「クッピーラムネ」(ウサギとリスをキャラクターに使っているので)も大好きだし、智頭急行の特急列車「スーパーはくと」も言うまでもなく、大好きです(o^_^o)v!!!
なお「はくと」は因幡の「白兎」(しろうさぎ)伝説から来ていますが、それを音読みで「はくと」にしているわけでちゅ。

トスク本店4階にある大食堂で生ビール大ジョッキを飲んだ後は、鳥取市コミュニティバスである「くる梨」に乗って、鳥取城跡がある「久松(きゅうしょう)公園」に行きました♪
右に見える白亜の洋館は、以前もアップしたことがある、大正天皇が皇太子時代に鳥取行幸に来られた時に、宿舎として造られた「仁風閣」(じんぷうかく)ですよ〜。
竣工したのはもちろん明治時代で、鳥取市で初めて電燈が灯ったのも、ここ仁風閣が初めてでした。
我が鳥取市も明治初頭まではお城が残っていましたが、明治新政府の廃城令によって、二の丸などのお城は破壊されました(>_<)。
お城がない鳥取市にとっては、この仁風閣がまさに町の象徴だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

鳥取城跡は山城だけあって、久松山(きゅうしょうざん)の山肌にへばり付くように、石垣が組まれています。

近世城郭としての鳥取城についての説明です。
まあ写真では文字が小さいので、読めないと思いますが(*^^;)。

これは確か鳥取城跡に残っている遺構では、一番古いはずの「中仕切り門」です。
鳥取城も復元してみては?という意見も昔はありましたが、さすがに財政難の折にそのように税金を使うのは、市民の理解を得ることはできないでしょう(>_<)。

石垣がさらに迫ってくる感じでちゅ。
マジにこの角度で石垣を見たら、メッチャ迫力があります(o^_^o)v!!!

五輪塔みたいなものもありますが、歴史的にはどのような背景があるのでしょうか?

さらに急な石段を登って行きます。
それにしても鳥取藩に仕官しとった役人って、毎日この石段を登っていたと思うと、昔の人ってホント体力がありますよ〜。

二の丸跡に着きました。
ここはこれからサクラの季節を迎えたら、花見客でごった返します♪

二の丸跡の説明看板でちゅ。
久松山の山頂にあった天守閣が落雷で焼けてからは、ここがお城の中枢をなしていたのでしょう。

鳥取城二ノ丸三階櫓石垣 天端角石」の説明看板です。


三階櫓跡の説明看板です。
ここにあった三階の櫓が、天守櫓なきあとの鳥取城の象徴として、明治12年の解体撤去まで、その威容を誇っていたとのことです(o^_^o)v!!!

三階櫓跡から見る、「山陰の大都会鳥取市」の風景です!
ホントこう見たら田舎の地方都市である鳥取市ですら、えらい都会に見えますよ〜。
昔と比べたら今の鳥取市って、15階建ての高層マンションがたくさん建っていて、空が狭く感じられるようになりました(笑)。
タワーマンション鳥取市にはまだ皆無ですが。
私が小さい時は、鳥取市に7階8階建てのビルが建ったら、凄いと思ったものです(>_<)。
人口20万都市(実際には20万人の大台を切ってしまいました)の威容が、光り輝いとるっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

手前の7階建てのビルは、鳥取県庁の本庁舎、その左隣にある9階建てのは県庁の第2庁舎、さらにその左にある屋上にアンテナがある建物(県庁第2庁舎の上にも、アンテナが建っていますが)は、鳥取県警察本部です。
鳥取県の職員だった私の父親は、言うまでもなくこの県庁で働いていましたが、県職員の試験に上から2位で合格したのに、最終的には次長までにしか昇進できなかったのは、ホント不思議です(笑)。
まあ「原発大賛成〜」と言っている御人なので、部長にはなれなかったのかも(:^^;)?
それだったら私が鳥取県知事になれば、いいのかもしれませんよ〜。
私の父親ですが、一度SPYBOY様から熱いお灸をすえて欲しいでちゅ。

三階櫓跡から見た久松山です。
標高は263メートルですので、40分ほどで登頂することができます♪
山頂には天守閣の遺構も残っていまちゅ。

三階櫓跡から見た仁風閣です。
県外在住のブログ友が鳥取市に来たら、砂丘よりも真っ先にこの仁風閣に案内しますよ〜。
以前大阪人の同僚(父親は岡山県人、母親は広島県人)を仁風閣に連れて行ったら、彼は「洋館、洋館」と呼んでいまいた。
まあ確かにその通りなのですが(笑)。

少しだけ角度を変えて、鳥取市街地を写してみました。
ホント我が鳥取市って、住みやすいいい町だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
八尾市も昔から中学校給食を始めてくれていたら、マツケンからも認められるのになぁ(汗)。

鳥取県の文化や歴史、考古学や地政学の殿堂である、鳥取県立博物館です。
人口最少県の県立博物館ですが、内容は意外と充実しています!

コンクリート打ちっぱなしの外観が、これまた素晴らしいです(o^_^o)v!!!

鳥取市の南西部を写してみました。
ここから80キロほど直線距離で行って岡山県側に入れば、いつも「鳥取・八尾日記」を応援して下さっている、「パンとスイーツの伝道師」「スレンダー絶世美女」として誉れ高い、o-uiri様ことのほ様がお住まいだと思うと、とにかく胸がワクワクしますよ〜。
のほ様とは昨年の4月に岡山県真庭市蒜山でお会いしていますが、次回お会いする時は、我が鳥取市でお会いしたいです♪
まあ八尾市でも構いませんが、蒜山からは少し遠いですもんね(笑)。

この鳥居の先からが、久松山の登山口になっています

こちらは天球丸の石垣です。
立っている二本木がこれまたいい味を出していまちゅ。

「国内唯一の球面石垣 天球丸巻石垣展望所」。
これは面白げです!
ちょっと行ってみんとイケン!

天球丸跡の説明看板です。
いやぁ〜、鳥取城跡には数えきれないくらい行っていますが、まだ私が全然知らないことが、たくさんあるっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

天球丸跡から見た、鳥取市の山の手の周辺です。
昭和18年(1943年)に鳥取地震が起きて、昔ながらの城下町の町並みは破壊されましたが、この山の手地域は地盤が固かったためか、今でも昔の雰囲気が漂っています♪
そういえば武家屋敷と思われる「岡崎家住宅」は、一体どうなったのだろうか?
ちゃんと保存せんかったら、鳥取市の歴史に汚点が残ります(>_<)。
さらに余談ですが、自民党幹事長である、あの石破茂の家も(以前我がブログでアップ済み)この山の手近辺なんです(*^^;)。

ここ天球丸は近年修復・復元されたみたいで、二の丸と比べて新しい感じがしますよ〜。

確かにこの球面石垣は、以前はなかったです。
それにしてもいい形しとんさる!

前述の山の手の写真とダブるのですが、眼下には鳥取県鳥取西高校があります。
鳥取県内では一、二を争う進学校で、私の長姉の出身校なんです♪
高校野球で甲子園にもよく出場するのですが、1回戦敗退が多いので、鳥西に限らず鳥取県勢の甲子園出場校は、もう少し強くなって欲しいです(>_<)。

天球丸下にある、球面石垣を下方から改めて見てみました。
いやぁ〜、ホントこの曲線美が何とも言えんっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!
県外の観光客にも、ジャンジャン鳥取城跡に来て欲しいものでちゅ。

最後は仁風閣の裏側を写してみました。
鳥取藩を治めていた、池田家のお殿様が造らせた「宝隆院庭園」の木々や池といった「和の世界」と、仁風閣の「洋の世界」の調和が、これまた何とも言えませぬ!
それにしても鳥取市は住みよい町だし、中学校給食だって40数年前からあるし、マジにいい町です(o^_^o)v!!!
私はいつかは故郷に必ず帰る「サケ」みたいなものですので、15年後に還暦を迎えて仕事を辞めた時には、鳥取市に完全復帰するのは、皆さんご存知の通りでしょう♪
「山陰の大都会鳥取市!」、やっぱり私は「この町が大好き」だっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!