10年後には私の白骨遺体が見つかったりして(汗)。


*10年後には私の白骨遺体が見つかったりして(汗)。
昨年に続いて、今年も懲りずに鳥取市の象徴である、「久松山」(きゅうしょうざん・・・標高263.1メートル)を登山して、山系の峰を縦走して、羽柴(豊臣)秀吉が鳥取城を攻めたときに陣を構えた「本陣山」(標高241メートル)の山頂へ向かい、そこから下山するという、「第24回鳥取城攻防懐古マラソン大会」に、参加してきました(o^_^o)v!!!
久松山は大きく見えるものの、あべのハルカスより37メートルも低く、東京スカイツリーと比べたら、2.4倍の低さなんでちゅ。

今回はこのような缶バッジを貰いました。
なおこの企画の主催者である「久松山を考える会」は、歴史も24年間あるようで、我が鳥取ふるさとUI会は、10数年の歴史なので、やはり上には上があるものです♪

いよいよ久松山へ登ります。
久松山の登山道は、とにかく低い山の割には急峻で、マジに足元が不安定で、場所によっては四つん這いになって登るとこもあるのですよ〜。
今まで何度か久松山の登山風景は、ブログでアップしてますので、今回は割愛します。

やっと久松山の山頂に着きました。
目の前の石垣は、かつて天守閣があったとこですが、落雷で焼失したとのことです。
まあ当時は避雷針はなかったもんで・・・・。

久松山山頂の北側には、鳥取砂丘も見えるっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!

久松山の山頂から、本陣山の山頂までの峰を歩きます。
私は休憩しまくっていたため、本隊から離れてしまい、私1人になってしまいましたが、クマに襲われたら大変です(*^^;)。
それよりも全然違う獣道に入って、遭難して10年後に私の白骨遺体が見つかったら、笑うに笑えないです(>_<)。

やっと本陣山の山頂に着きました。
それにしても秀吉さん、ここに陣地を作るために、木材や石垣用の石とかを運んで来たのでしょうから、当時は道はないのに、マジに驚きですよ〜。
なお近代は山麓から本陣山の山頂まで、鳥取県NTTドコモなどのアンテナ保守管理のために、車が通れるアスファルト舗装された道があります♪

本陣山を下りて来て、旧鳥取市街地の憩いの場である、「樗谿公園」(おうちだにこうえん)の大宮池が見えたら、とにかくホッとしまちゅ。

樗谿公園内には、このようなミニ渓谷もありますが、これからの時期にはゲンジボタルが乱舞するのです。
ただ私が見る限りでは、水はかつてと比べたら汚れてている気がしますが、これでマジにゲンジボタルヘイケボタルが生息しているのでしょうか?

樗谿公園内にある「鳥取東照宮」の鳥居です。
鳥取県神社庁も、そこにあるのです。

山沿いの旧市街地を歩いていたら、かつての武家屋敷であった「岡崎邸」が建っています。
鳥取市は昭和18年(1943年)の大地震、そして9年後の昭和27年(1952年)の大火と、立て続けに起こった災害のため、32万石の池田家が支配した城下町にもかかわらず、古い建物がほぼないのですよ〜。

やっとこさ出発地点+終着地点である、鳥取市立北中学校内にある、久松公民館に着きました。
私は当然「アドベンチャー、トレイルラン」のような、きつい山道を走る(つまりマラソン)は選択などせず、ウオーキングだったのですが、昨年は所要時間が2時間56分だったのに、今年は2時間44分と、12分も短縮されていました♪

今年もお水やポカリスエットといった飲料はもちろんのこと、スイカやバナナといった果物も振る舞われていました。
それにしてもホントしんどかった、鳥取城攻防懐古マラソン(前述の通り、私は単なるウオーキングでしたが)大会、なんとか生還できて良かったっちゃぁ〜(^o^)ノ!!!