百貨店があるだけでも、良しとせんとイケン!

*百貨店があるだけでも、良しとせんとイケン!

鳥取県内には鳥取市鳥取大丸米子市のJU米子高島屋、米子しんまち天満屋があって、人口最小県なのに、3つも百貨店があるのは、鳥取県人として誇りです(o^_^o)v!!!

でも鳥取大丸は、Jフロント大丸松坂屋との資本提携は、2018年で終了していて、ライセンス契約も8月限りで切れるため、73年続いてきた「大丸」のブランド名が消えるのでちゅ。

なお鳥取大丸の現在の建物は、建築家である黒川紀章先生が、設計されたものです♪

ドアノブの、「〇に大」、これも9月からなくなるのでしょう。

「株式会社鳥取大丸」、昭和49年3月1日となっていて、でも鳥取市に大丸が進出したのは、戦後間もない昭和24年(1949年)ですので、建物を新築した時に、大店法の届け出更新で、変わったのかも知れませんよ~。

古い写真ですので、ピンボケしてますけど、かつては鳥取県智頭町にも、鳥取大丸の「支店」があったのですから、今思うとちょっとびっくりです。

なお今はここに、阪神間の高級スーパーである、いかりさんの智頭町支店の建物が建っています♪

なお鳥取市で初めてできた百貨店は「丸由百貨店」という、古くからの呉服屋さんが昭和7年(1937年)に創業して、その12年後に大丸になったわけです。

そして9月3日からは、「先祖返り」したのか、鳥取大丸は「丸由百貨店」(まるゆうひゃっかてん)となり、73年ぶりに屋号を旧名に戻して、再出発します。

女性店員の制服や、包装紙と紙袋も公表されています。

女性店員の制服がとにかく可愛く、今の鳥取大丸のものよりも、良い意味で派手であり、紙袋は「〇YOU」と書かれていて、これで丸由と読むのですから、何か丸井みたいでちゅ。

鳥取大丸の屋上塔屋に付けられている、大丸のピーコックマークの撤去も行われています。

なお昭和58年(1983年)に登場した、ピーコックマークですが、その前は「〇に大」の昔ながらのマークが付けられていましたよ~。

右側5階の上にある「DAIMARU」のローマ字表記も、「〇YOU」、もしくは「丸由百貨店」に変わるのでしょう。

なお左隣の高層ビルは、ホテルニューオータニ鳥取です。

これは初代、というか、先代の鳥取大丸で、これが当初は今回屋号復活する、丸由百貨店だったわけです。

それにしても厳めしい外観、これには乳幼児期にこの中に入ったことがある私でも、「こんな建物だったの?」と、思ってしまいまちゅ。

家族でよくこの昔の大丸にも行き、大食堂では私は決まってお子様ランチか、ざるそばを食べていました。

それとこの昔の大丸、確か山陰地方で初めてのエレベーターが設置されたと聞いたことがあり(間違えていたらゴメンナサイ)、エスカレーターも登りのものだけはあったのですから、大したものです♪

エレベーターはには、もちろん百貨店の華である、エレベーターガールもいて、そのエレベーターが古臭い、超レトロなものでしたが、今でもそれについてはしっかり脳裏に焼き付いていて、京都市の中華料理店ビル「福菜館」には、日本最古のエレベーターが現役であるようなので、一度はそこにも行ってみんとイケンなぁと思いますよ~。

百貨店は全国的に受難の時代であり、鳥取県よりも人口が多い県でも、百貨店がないとこもあり(徳島県山形県とか)、「マツケン三県」である岐阜県は、岐阜市高島屋があるだけですし、スマホニュースを読んでいたら、広島県岡山県資本の天満屋が撤退しまくって、都会でものほほんとはしていられませんし、西日本で一番大きい町である大阪府も、あべのハルカス近鉄百貨店本店は元気ですが、三越松坂屋はとうの前に撤退してますし、一時は大阪駅ヨコにも伊勢丹があったのの、どうも大阪人の趣向に合わなかった(京都駅の伊勢丹は元気なのに!)のか、やっぱり商売ってその地域性や文化とかがあるので、マジに難しいでちゅ。

鳥取大丸も大金をかけて、大リニューアルをして、無印良品の売り場も増床しましたし、全国で約100店舗を展開する、食料品専門店「北野エース」も地階に出店しましたので、これらのテコ入れは、Jフロント大丸松坂屋との、ライセンス契約が切れることを見越して、そのような手を打ったのだと思います。

鳥取大丸から、〇YOU百貨店に戻っても、鳥取市内では百貨店の火は灯り続けますので、とにかく鳥取市の駅前や中心市街地の起爆剤として、頑張って欲しい、いや頑張ってもらわんとイケンっちゃぁ~(^o^)ノ!!!