鳥取市の夏!古市地域の夏!

鳥取市の夏!古市地域の夏!

コロンバさんで美味しいトマトソース味の、土鍋ハンバーグ定食を食べた後は、袋川に架かる古市橋ふるいちばし)を渡って、私が育った古市地域へ向かいます(o^_^o)v!!!

目の前には三洋製紙さんの大工場があり、古市のみならず、鳥取市の経済を支えています♪

古市橋の上から撮影した、鳥取市の旧市街地、まさに地方都市そのものですけど、いい味を出しています。

古市地域もだいぶ変わってしまい、大きな道路も出来ています。

向こうの一本木が美しいでちゅ。

古市地域の地図はこんな感じで、昔のものなら我が家の名前(苗字)も載っていました。

三洋製紙さんの工場を、裏側から撮影しました。

意外と迫力があります。

大昔からある、村のお地蔵さまには、拝んどかんとイケン♪

天理教の古市町分教会もあります。

私が幼少の頃から、この教会からは子気味良い太鼓や拍子木の音が流れていて、なぜか気分が落ち着いたもので、さすがは共産党と仲が良い?宗教だけにことはあります。

そりゃぁ~八尾民商の会員には、天理教支持者も多く、私をマミヤンに対して働いた不適切発言で叱責した、S木F恵さんの実家も天理教で、S木さんの娘さんも天理大学に進学したのですから、共産主義は宗教を否定するのは、ちょっと違うかも知れないでちゅ。

夏のお花が美しいのに、その名前が分からず、恥ずかしい限りであり、ここにmiyotya様がいたらありがたいです♪

このお花が咲いているとこは、用水路が二股に分かれる分岐点だったので、通称「二つ股」と呼ばれていました。

でも今では古市地域の用水路も暗渠化されて、昔の風景とは全然変わっていますよ~。

ここ二つ股は、小学生の時に集団登校の集合地だったとこで、感慨深いとこであります。

写真に写っている離れの建物、これは昔から変わりません。

この家も昔からありますが、古い煙突がいい味を出しています♪

今でも薪とかを焼いて、お風呂を沸かしているのだろうか?と思いましたけど、昔使っていたものが、今ではダミーで残っているのかも知れません。

鳥取市の昔の家も、私が幼少の時は、それこそ薪とかを焼いて、お風呂を沸かしていたのに、途中から中国電力の電気温水器が導入されて、快適なお風呂生活を送ることができたのでちゅ。

私が過ごした鳥取市の昔の家の所在地である、「古市67番地」がここなんです。

本籍地もここに置いています♪

やっぱりこの景色を見たら、心が休まりパワーも補填されますよ~。

古市公民館前の豪農?の家で、今は分かりませんが、かつては古市区長もされていた方の邸宅です。

私が幼稚園に通っていた時は、ここに鳥取幼稚園(現・鳥取第一幼稚園)の送迎バスが来て、前述の二つ股と同じく、待ち合わせ場所になっていたわけです。

狭い道が多い古市地域です。

鳥取市の旧市街地から、さほど離れていないのに、これだけ田舎町の雰囲気が漂っているのは、ホントさすがですよ~。

土塀も崩れかけの古い離れ、これまた昔っからあるのです。

玄関は入り口の上に、梯子が掛けられているのって、なんかあるの?

暑い最中、稲穂もすくすく育っています。

私は幼少の時から思うのですが、田んぼの中に孤島のようにお墓がある、どんな理由があるのだろうか?

やっぱり農業用の用水路って、大切なものですよね♪

古市地域は野菜や果実作りが盛んな「農業地域」だったのに、今では田畑も潰されて、アパートやマンションが建ちまくっていまちゅ。

昔を知る私から見たら、部分的には未知の町になりかけです。

国道53号線から東に分かれる市道に入り、またさらに道が二方向に分かれていて、まっすぐ行けば三洋製紙の大工場へ、左に行けば古市地区の中心に行けます。

なんか、ドイツの超有名観光地で、年間100万人が来ると言われる、私も何回も行きまくった、ロマンチック街道の「ローテンブルク」の町中にある、プレーンラインみたいです♪

我が幼少年期を過ごした、古市地域は今でも過去の雰囲気を残していますが、新袋川の北対岸、つまり旧鳥取市側はやっぱり発展しています♪

今の私の鳥取市の家は、古市地域より全然東側で、小中学校の校区も違う、桂木地域(津ノ井)なんですが、やっぱり幼少年時代に住んでいたとこって、懐かしさも溢れますし、帰ってきたらこれまたエネルギーを充填される思いだっちゃぁ~(^o^)ノ!!!