ラジオund定時退勤♪

*ラジオund定時退勤♪

そう言えば日本で放送が始まったのは、関東大震災があった大正12年(1923年)から2年後の同14年(1925年)ですから、あの未曽有の大天災により、ラジオ受信計画を早めたらしいです。

でもよく考えたら、ラジオ放送が始まった年に生まれた人って、まだ?98歳であり、本当に人生100歳時代はマジなことで(私は70歳で崩御しますが)、関東大震災だって今年でようやく100年、ホントつい最近の話みたいです(o^_^o)v!!!

私の職場老健の利用者(男性)にも、ラジオが好きな人がいて、テレビもあるのにラジオばっかり聞いており、私もその方の多床室(大部屋)に入ったら、いつもラジオを熱心に聞いてますが、私も車を手放してからは、ラジオを聞く機会がないので、ちょっと私も仕事の手を止めて、そのラジオを盗み聞きしたら、結構面白いんですよね♪

「テレビもいいけどラジオもね!」と、昭和50年台初盤にキャンディーズがCMに出ていた、「おせちもいいけど、カレーもね!」・・・つまりハウスさんのククレカレーのことを思い出します。

なお職場老健には、個室や多床室問わずに、各部屋(個室)と各ベッド(多床室)近くには、テレビアンテナ受信のためのアンテナジャックがあり、地上波はもちろん、BSも視聴できます。

それとさすがに利用している人は1人もいませんけど、固定電話の配線ジャックまであり、これはちょっと驚きですよ~。

ラジオの思い出と言えば、まだ私が車の免許を取ってさほど月日が経っていない時に、鳥取県北東部の岩美町にある、山陰海岸国立公園に深夜行った時(北朝鮮工作員に拉致されそう)、北海道のラジオ放送も明瞭に聞こえましたし、同じく鳥取県内の国道9号線を車で走らせて、米子市に向かう途中、これまたはっきりと韓国や北朝鮮のラジオ放送が入り、さすがは地理的に朝鮮半島と近いだけのことはあります。

でも怪し気な北朝鮮の乱数暗号放送も、聞いていたかも?

職場老健の夜勤時間は、16時30分から翌朝9時30分までですが、私は20分ほどサービス残業しています。

日勤の職員は退勤時間は17時30分なのに、それでもさらに働いてくれてますから、私も恩返しで同じことをしているのでちゅ。

17時から17時30分の間は夕食時間で忙しく、その後日勤職員が利用者の口腔ケアの世話をしたり、1人でベッドに寝れない利用者の介助=移乗をやってくれて、私たち夜勤職員は本当にありがたいことだと、心から感謝しています。

まあ私の場合サービス残業しても、20分~30分くらいですけど、八尾民商の場合は狂っていて、20時以降まで働いていたら「うどん代」という名目で1500円が出るだけ、完全に労働基準法違反ですし、そもそもボンクラ三役(事務局長の私を除く)自体が「優秀な事務局員とは、長時間事務所にいること」、これってバッカじゃない?

そのため過去に先輩事務局員だったK谷さんを過労で殺しておいて、ようお前ら刑務所に入らず済むもんだで!

まあ八尾民商の悪評は皆さんもご存知の通りなので、この辺でやめておこうっと(笑)。

ところで昨夕から今朝まで、私が夜勤で入った階ですが、今日の日勤ではフロアリーダー(男性)と、介護主任(女性)がシフトに入っていました。

介護主任は「マツケンさん(実際は本名)、もう9時半やから、帰りやぁ~」と声をかけて下さり、とても嬉しく思いました♪

幸いこの日は仕事も段取り上手くいっていたので、5分超過で帰ることができました。

それにしても上司が「もう退勤時間だから帰りなさい」と言うのは、やっぱり迫力がありますよ~。

もちろん介護主任は自身の仕事が終われば、よほどのことがない限り、さっさと定時で帰っています。

職場老健VS八尾民商、この両者を比較したら、どう考えても労働環境は老健の方に分がありますよね。

改めて八尾民商の「労働基準」はおかしく、今思うとそれを振り返ったら、「恐怖新聞」を読まされたようで、寿命が縮む思いだで(汗)。

とにかく定時退勤は楽しく、↑のいらすとやさんの女性(私は男ですけど)のように、スキップしながら八尾市の高級賃貸マンションまで(もちろん途中は近畿日本鉄道産を介して)、戻ってしまったっちゃぁ~(^o^)ノ!!!